大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

奈良の人物

思ってたんと違う(11)「洞ヶ峠の順慶」にあらず。山崎の戦いのキャスティング・ボートを握った男・筒井順慶

筒井順慶は戦国大和を代表する戦国武将ですが、一般的には「洞ヶ峠の順慶」として有名です。山崎の戦いでは日和見を決め込んで後日秀吉に叱責された優柔不断な武将というイメージが巷間流布していますが、実は山崎の戦いの結果に重大な影響を与える重要な立…

忍性・慈悲に過ぎた窮民救済の超人的実践者

忍性菩薩像(称名寺蔵) 皆さんこんにちは。 忍性という僧をご存知ですか。 鎌倉時代に師匠、叡尊とともに戒律の復興運動に取り組んだ律僧として、日本史の教科書に載っていたなとご記憶の方もいらっしゃるかなと思いますが、同時代の鎌倉新仏教の開祖たちと…

叡尊~旧仏教の改革者か新仏教の開祖か

皆さんこんにちは。 鎌倉時代、それまでの南都六宗、天台宗、真言宗といった、国家から保護された旧来の仏教宗派から、新興の武士や一般庶民に広くその教えを広めていく、いわゆる鎌倉仏教の宗派がたくさん生まれました。 浄土宗の法然、その弟子で浄土真宗…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(9)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 景観問題を乗り越え、1981(昭和56)年4月1日、ついに西塔は再建されました。 www.yamatotsurezure.com 西塔落慶法要の…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(8)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 金堂落慶のあと、景観破壊との批判を乗り越え、西塔再建を開始した薬師寺。 www.yamatotsurezure.com 白鳳伽藍復興に向…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(7)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 金堂再建の最後の難関であった木材の調達をクリアし、無事起工式と上棟式を終えて、工事は順調に進みました。 www.yama…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(6)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は金堂再建のために講演と写経勧進に東奔西走する好胤と、日本建築界を代表する碩学たちが結集し、不世出の宮大工…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(5)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回はいよいよ薬師寺管長となった好胤が、その晋山式で多くの聴衆を前にして金堂の復興を誓い、写経勧進によって浄財…

茶人大名、片桐石州のもてなしに触れる癒しの空間 慈光院

皆さんこんにちは。 今回は奈良県大和郡山市の禅宗寺院、慈光院をご紹介します。 ところで、皆さんは慈光院という寺院をご存知でしょうか。 茶道に詳しい方なら、或いはご存知の方も多いかもしれませんが、ピンとこない方も多いかもしれないですね。 慈光院…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(4)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、結婚、そしてテレビ出演によって全国的な知名度を得るようになり、薬師寺副住職として活躍する好胤の姿をご紹…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(3)

皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を起こした、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、学徒出陣からの復員と復学、大学卒業後に薬師寺副住職となり、修学旅行に訪れる生徒たちへ「青空説法」を始…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(2)

皆さんこんにちは。 壮麗な復興伽藍で知られる奈良薬師寺。 この白鳳伽藍再建を開始したのが、薬師寺管長であった高田好胤です。 度重なる戦災と明治の廃仏毀釈に飲み込まれ、一時は住職も不在となった薬師寺を復興した高田好胤とはどのような人物であったの…

仏法の種をまいた名僧、高田好胤(1)

皆さんこんにちは。 奈良の西ノ京にある世界遺産・薬師寺。 奈良時代から残る国宝の東塔や鎌倉時代築の重文・東院堂などの古くから残る貴重な建築だけでなく、創建以来の度重なる火災や自然災害、兵火により失われた大伽藍を復興したことでも名高い名刹です…

幻の五新線と旧街道の町並みが残る五條新町をめぐる

皆さんこんにちは。 前回は旧筒井家重臣で、五條新町や肥前島原城築城で知られる松倉重政の事跡を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 暴君として悪名高い松倉重政ですが、重政が発展の礎を築いた五條新町は、江戸時代初期から現在まで生活の息…

二見城跡~名君にして暴君、五條に遺る松倉重政の事跡を巡る

皆さんこんにちは。 松倉重政という武将をご存知でしょうか。 安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した武将で、一般には肥前島原で苛烈なキリシタン弾圧と圧政を敷いて、江戸時代最大の反乱である島原の乱の原因を作った人物として知られています。 歴史小…

運慶(3)~神格化された名工

皆さんこんにちは。 日本の彫刻史上、最も有名な人物の一人として知られる運慶を取り上げて今回が3回目の記事になります。 前回は、壮年の運慶の活躍を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 新たな時代の支配者として台頭してきた東国武士と、親…

運慶(2)~大仏師運慶

皆さんこんにちは。 日本史上最も高名な仏師といえば、まず運慶の名が上がるでしょう。 日本仏像彫刻の一つの到達点とも評価され、「天才」の二つ名で語られることも多い運慶は、平安から鎌倉へと時代が移り、貴族に替わる新たな支配層、武士にその作風が愛…

運慶(1)~慶派誕生

皆さん、こんにちは。 運慶という仏師の名はご存知の方も多いでしょう。 同時代を生きたもう一人の著名な仏師快慶とともに、平安末期から鎌倉時代初頭にかけて、一世を風靡した仏師集団慶派の全盛を主導し、仏像表現に革命的な変化をもたらしたとされる人物…

奈良の人物~中世から現代

皆さんこんにちは。 2021年7月9日で当ブログも2周年になりました。 中世以降の奈良の歴史や遺構、街並みなどを中心にご紹介してきましたが、奈良県域ゆかりの歴史上の人物を、有名人から一般的な知名度の低い人物までこれまで数多く、とりあげてきました。 …

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(6)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。最終回は世阿弥の死後の能楽はどうなっていったのか、そしてなぜ世阿弥はいったん一般社会から忘れられながら…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(5)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。5回目は将軍足利義教から疎まれついには佐渡に配流となった最晩年の世阿弥を紹介します。

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(4)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。4回目は観世座の分裂と、孤高の芸術家となっていく世阿弥、そして最愛の後継者であった愛息元雅の死までをご紹…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(3)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。3回目は義満死後の世阿弥の苦境と、世阿弥の目指した能が当時の社会に受け入れられず徐々に孤立していく姿をご…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(2)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。2回目は少年期の世阿弥と室町殿足利義満との出会いから、父観阿弥死後の苦闘、そして義満の死までを紹介します…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(1)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。初回は父観阿弥がもたらした猿楽の革新と世阿弥の出生までを紹介します。

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(9)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の空中攻撃隊総隊長を務め、戦後キリスト教への信仰に目覚めて伝道の道に入った淵田美津雄の数奇な生涯をご紹介して、今回9回目。最終回となります。 www.yamatotsurezure.com 敗戦で軍人として職を失い、東京裁判では勝者によ…

筒井順慶とは何者か

皆さんこんにちは。 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」にいよいよ筒井順慶が登場しました。 戦国時代に関心がある方なら、名前くらいは聞いたことがある、という人も多いかもしれないですが、ドラマや小説などに取り上げられることも少なく、一般的な知名度は…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(8)

皆さんこんにちは。 日米開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃。 その空中攻撃隊総隊長、淵田美津雄をご紹介して今回8回目です。 www.yamatotsurezure.com 敗戦とともに公職追放となって、故郷奈良に帰った淵田。 恩給も止められ経済的には困窮しつつも、家族ととも…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(7)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃総隊長として、日米開戦の火蓋を切り、戦後キリスト教伝道者となった淵田美津雄をご紹介して今回7回目になります。 www.yamatotsurezure.com 1945(昭和20)年8月5日、連合艦隊航空主席参謀であった淵田は、出張で広島を訪れ、…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(6)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の現場総指揮官、淵田美津雄を紹介している当記事も、今回6回目です。 1942(昭和17)年6月、日本はミッドウェー海戦で主力空母4隻と多数の航空機を失って大敗します。 www.yamatotsurezure.com 第一航空艦隊旗艦、赤城の飛行…