皆さんこんにちは。
ところで、皆さんは慈光院という寺院をご存知でしょうか。
茶道に詳しい方なら、或いはご存知の方も多いかもしれませんが、ピンとこない方も多いかもしれないですね。
慈光院は江戸時代の初め、1万3千石の大名でありながら高名な茶人でもあった片桐石見守貞昌(通称、石州)により創建された寺院で、境内全体が茶席の演出空間として設計されているという、稀有な特徴を持っています。
そして、その書院や茶室は国の重要文化財、庭園が国の名勝、史跡に指定されています。
今回はその境内をじっくりとご紹介します。
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片桐石州と慈光院
城下町として知られる大和郡山市ですが、市内には江戸時代、郡山の他にもう一つ城下町がありました。
JR大和小泉駅の西に広がる、片桐氏1万石余の城下町だった小泉の町です。
※小泉の町についてはぜひ過去記事もご一読くださると幸いです。
慈光院は小泉藩の2代目藩主であった1万3千石の大名、片桐石州が、父であり小泉藩の初代であった片桐貞隆の菩提寺として、城下に建立した禅宗寺院です。
石州の父、貞隆は、賤ケ岳の七本槍の一人、片桐且元の弟で、ともに豊臣秀頼の家老として活躍したことで知られる人物です。
大坂の陣直前に兄とともに大坂城を出て、大名として家名を存続させました。
慈光院の場所はこちらになります。
JR大和小泉駅から北へ1Kmほどの場所で、城下町の北辺になりますね。
創建は1663(寛文3)年。
大徳寺185世・玉舟和尚を開山に迎え、臨済宗大徳寺派の寺院として建立されました。
寺名は貞隆の法名である「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られています。
慈光院を建立した片桐石州は、1633(寛永10)年から始まる知恩院の再建で普請奉行を務めるなど、伯父の且元と同様、土木事業で活躍し、知恩院再建後は関東郡奉行などを歴任。災害地の復興・視察などに活躍した大名です。
しかし、石州は、なんといっても石州流茶道の流祖として有名な人物です。
千利休の長男、道安や古田織部の流れをくむ桑山宗仙から、20歳前後で茶の湯を学んだ石州は、知恩院再建の普請奉行として京都に滞在中、多くの茶人たちと交流を深めて茶人として大きく成長。松平忠明や小堀遠州といった大名たちとの茶席を通じ、茶の宗匠としての名を高めていきました。
茶人として石州が大きく飛躍するのは、1648(慶安元)年、将軍徳川家光の命で、将軍家が保有する名物茶器、柳営御物の分類・整理を行ったことでした。
これで幕府内での評価を高めた石州は、多くの大名たちから注目を集めるようになります。
1665(寛文5)年には将軍家綱へ献茶を行い、ついには家綱の茶道指南役となったことで、石州の興した石州流茶道は、大名茶道としての地位を不動のものとしました。
石州は大名の門弟を多く持ち、著名なところでは、水戸黄門として知られる徳川光圀、会津松平家初代の保科正之、戦国武将の逸話集である「武功雑記」の著者で平戸藩主、松浦鎮信ら錚々たるメンバーが石州の茶を学びました。
将軍家を筆頭に多くの大名が師事したことから、石州流は武家茶道の本流となります。
大名でありながら、茶の宗匠として頂点を極めた石州は、慈光院建立にあたって、その境内を茶席に必要な全ての演出を備えた空間として設計しました。
慈光院は建立から300年以上を経た今も、一人の茶人の演出をそのまま体感できる場所として、稀有なスポットと言えるのです。
一之門~茨木門
それでは、慈光院にいよいよ入っていきましょう。
まずは拝観の基本情報です。
拝観時間:9:00~17:00(年中無休)
拝観料:1000円(お抹茶とお菓子付)
駐車場有
慈光院へ続く石畳の参道。
自動車でお越しの方は、こちらを登ると駐車場があります。
参道を登りきると、一之門が見えてきました。
一之門をくぐると、土手と木々に囲まれた石畳の小径が続きます。
朝訪れましたが、森林浴しているような心地よい参道。
このアプローチから石州の演出はすでに始まっています。
屈曲した参道を進むと表門が見えてきました。
こちらが慈光院の表門である茨木門。
もともとこの門は、石州が生まれた摂津茨木城の櫓門で、茨木城が徳川家康の一国一城令により破却された際、移築したものです。
安土桃山時代の城門遺構としても貴重なものと言えるでしょう。
屋根はもともと瓦葺きでしたが、移築された際に書院と合わせて茅葺に葺き替えられました。
現在、茨木小学校となっている茨木城跡に、在りし日の櫓門が復元されています。
慈光院に本物が残っていることもあり、完全復元されたかつての姿を見ることができます。
書院から見た茨木門。
庭と溶け込む侘びた姿が美しいです。
二重の櫓門で上、下層の屋根が両方茅葺の門は全国的にも珍しいとのこと。
また、「小説の神様」こと志賀直哉も、この門を気に入っていたようで、自身が愛した建築、庭園などを収めた写真集「座右寶」にも、この茨木門の写真が収められています。
書院
茨木門をくぐると、正面に寺務所の建物が見えてきました。
拝観の際は、こちらの寺務所の受付にお立ち寄りください。
右手に書院の茅葺屋根が見えます。
こちらの書院は国の重要文化財に指定されています。
本来の茶席では、このまま直接書院の方に向かうのでしょう。
書院の内部に入ってきました。
写真左手の棚が見えるエリアは、いわゆる水屋で、書院で茶席が行われる際の、茶道具や水などを準備するスペースになります。
こちらは書院の上の間。
現在茶道といえば、小さな茶室で静かに楽しむものというイメージがありますが、室町時代以来の武家茶道は、茶室ではなく書院の座敷広間で、闘茶や唐物の名物を自慢しあったりする遊びでした。
石州流は武家茶道ということもあり、このように広い書院広間の席が、慈光院にも設けられています。
上の間からの眺望。
こちらは借景となる奈良盆地側の眺めです。
訪れたのは三月末で、黄砂と花粉で霞んでいますが、冬場などは東の山並みや奈良盆地が、視界が開けて綺麗に見えると思います。
こちらは白砂の庭園。
まるく刈り込まれたさつきの植え込みと、様々な木々との組み合わせで構成されています。
広間に腰かけて眺めているだけで癒されます。
さて、慈光院の楽しみは、この庭を眺めながら御接待を受けられること。
まずはお茶菓子をいただきます。
続いてお抹茶を一服。
庭を眺めながらの静かなひと時。
お抹茶をいただきながら、ぜいたくな時間が流れます。
茶室~本堂
石州の興した石州流は、千利休の嫡流である堺千家の流れを汲んでいることもあり、武家茶道ながら基本的に侘数寄です。
古田織部の後、武家茶道を牽引した小堀遠州が、「綺麗さび」というスタイリッシュな様式を確立したのとは非常に対照的なスタイルです。
※小堀遠州の茶室、庭園のスタイルについては、下記のサイトを参照いただくと非常に比較しやすいと思います。
ということで、慈光院には石州作の非常に侘びた設えをもつ、草庵風の茶室が二つあります。
まずはこちらが、二畳台目の茶室。
通称「高林庵」で、石州が設計した代表的な席です。
亭主が座る手前畳の奥に床の間がある亭主床が特徴の茶室で、現在のところ年代、作者、形状が証明できる最古の席であり、国の重要文化財に指定されています。
書院やほかの建物にも共通していますが、窓や天井の意匠など、非常に素朴でシンプルな設えになっています。
高林庵の外観。
大名が作ったとは思えない、侘びた造りですね。
こちらは三畳台目の茶室。
閑茶室とも呼ばれます。
高林庵と比べると少し暗い茶室になっています。
構造的にも高林庵と対になっているとのこと。
閑茶室の外観。茶室にはお馴染みの躙り口はありません。
書院から本堂への廊下の壁に設えられた窓も、シンプルですがお洒落な意匠です。
こちらが本堂。
一見して真新しいことに気付かれるかもしれませんが、現本堂は1984(昭和59)年に建立されたお堂です。
本堂内には、左から片桐石州の像、本尊の釈迦如来像、開山の玉舟和尚像が安置されていました。
ちなみにこちらの片桐石州像、石州自身の手により彫られたとのこと。
元々、京都大徳寺の塔頭で片桐氏の菩提寺である高林庵に、34歳の時おさめた自作の像でしたが、明治の廃仏毀釈で高林庵が廃寺となり、慈光院に移されたものとか。
素人技とは思えぬ木像で、石州の芸術的な多彩ぶりがうかがえます。
本堂の天井には日本画家・入江正己作の龍の墨絵が描かれていました。
庭園
国の史跡・名勝に指定されている庭園には、書院から降りて散策することができます。
美しい白砂の枯山水を、回遊できる庭園になっています。
お庭から白砂越しの書院。
入母屋造りに茅葺屋根で農家風の外観。
表門から書院まで、客人は静かな林の中にたつ、侘びた農家に招かれたという、舞台演出を感じることができます。
とてもお寺の施設とは思えない造りですね。
書院から見て右手の大刈込は築山になっており、山頂に観音堂があります。
こちらの観音堂は、慈光院の南隣にあった石州の母の菩提寺、善隣寺境内に建立されていましたが、明治の廃仏毀釈で善隣寺が廃寺となったとき、この地に移築されました。
安置されている秘仏の十一面観音像は、観音堂背面に書かれた縁起によると、長谷寺の本尊と「同木同作」とのこと。
築山から書院を望みます。
お庭の池の上に祠があります。
庭の片隅には稲荷社が祀られていました。
大刈込と書院。
大きくはありませんが、見る場所によって色々な変化が楽しめる、面白いお庭です。
大名の作庭といえば、兼六園に代表される、広大な大名庭園が浮かびますが、慈光院のお庭はとくに、書院を中心としたエリアにギュッと侘数寄のエッセンスが詰まっていると感じました。
さて、慈光院いかがだったでしょう。
千利休への回帰から侘数寄に傾倒した石州は、作為を加えず自然と姿が出来上がっていくことこそ、侘びの風情と考えていました。
その思いは、書院や茶室のシンプルな意匠に如実に表れていますし、建設から300年以上を経た壁や柱、屋根の風合いなど、現在進行形で石州が目指した侘数寄の神髄を感じる空間となっていると感じました。
季節ごとや気分を入れ替えたいとき、気軽に訪れて心をリセットするにはぴったりの場所です。
是非一度、みなさんも石州の300年を越えたもてなしを、体験してみてください。
<参考文献>