大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

談山神社は夏の穴場スポット。如意輪観音と涼風薫る青紅葉に癒される空間

皆さんこんにちは。

 

奈良県桜井市にある談山神社は、紅葉の名所として知られます。

場所はこちら。

奈良盆地南東の山間にあります。

実はこの談山神社、江戸時代以前は、多武峰妙楽寺と呼ばれた巨大な仏教寺院でしたが、明治初頭の神仏分離令により、全山がそのまま神社に転身したという、非常に珍しい場所です。

談山神社の由緒や廃仏についての詳細は過去記事をご一読いただければと思います。

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こちらは江戸時代の妙楽寺境内図。

多武峰之図(奈良県立図書情報館蔵・江戸後期19世紀初め頃)

明治の神仏分離によって、多くの神仏習合の寺院では、従来の伽藍が失われました。

しかし妙楽寺では、全山神社になるにあたり、堂宇がそのまま神社の建物へと転用されたため、江戸時代以前の大伽藍がそのまま維持され、上の絵図で描かれた神仏習合寺院の姿を、ほぼそのまま現在に伝えている貴重な場所となっています。

その妙楽寺の時代から、唯一祀られ続けている秘仏如意輪観音がちょうど特別公開されていたこともあり、真夏の談山神社を訪れました。

山城のような東大門、西大門跡

自家用車で入山口前の第5駐車場に車をとめ、まずは、東に延びる参道を下っていきました。

お目当てはこちらの東大門です。

1803(享和3)年再建された山門で、威風堂々とした薬医門。奈良県指定有形文化財になります。

お寺の門というより、城門を思わせる武骨な佇まい。

 

東大門脇にある女人結界。

かつて多武峰が女人禁制だったころの名残になります。

明治に談山神社となったことで、はじめて多武峰に女性もお参りすることが可能になったんですね。

 

東大門をくぐると現れる広いスペース。

石垣で囲まれ、近世城郭の枡形のようになっています。

山門をくぐり、すぐに参道を屈曲させるようなお寺は、個人的にはほとんど見たことがありません。

かつて多武峰興福寺と熾烈な武力抗争に明け暮れ、室町時代には松永久秀をはじめとした大和国外の勢力から何度も攻撃を受けました。

外敵の襲来に備えて、このような構造になっているのかと想像がめぐります。

 

参道の脇には、かつて妙楽寺の子院が立ち並んでいましたが、今は石垣を残すのみ。

見事な石垣で、総石垣の城郭に登城しているようです。

 

参道の脇にある摩尼輪塔

ほとんど人の通らない参道に、何気に立っていますが、なんと重要文化財

鎌倉時代後期、1303(乾元2)年の銘がある古い石塔です。

こちらは西大門跡

食い違いになっており、こちらも枡形構造。東大門以上に防御の意図がよく見える構造になっています。

多武峰妙楽寺への入口は、東西大門が立つ二口だけでした。

東西の門は、かの松永久秀をも撃退した多武峰の堅固な備えの一端を、実感できる場所ですね。

正面入山入り口周辺

東からの参道を登って、入山口へ向かいます。

石灯籠が立ち並びます。

立ち並ぶ石灯篭の中で、ひときわ目立っているのが後醍醐天皇が寄進した石灯籠。

鎌倉時代末の動乱が始まる1331(元徳3)年の刻銘があります。

妙楽寺後醍醐天皇とのつながりも深く、南北朝の動乱では南朝方の最前線として、高市郡の国民であった越智氏とともに、北朝室町幕府方と激しい抗争を繰り広げました。

 

妙楽寺子院であった旧常住院表門

ちなみにかつての常住院跡は、現在境内に最も近い第5駐車場になっています。

 

いよいよ入山。

正面に二の鳥居が見えます。

ちなみにこちらの鳥居は、妙楽寺の時代から同じ場所にありました。

神仏習合の寺院を象徴する光景ですね。

 

訪れた当日、奈良県内は34℃を超える猛暑でしたが、境内は青紅葉の間を吹き抜ける涼風が、とても心地よかったです。

紅葉の季節が有名な場所ですが、真夏の談山神社は避暑にピッタリですね。

入山料は大人600円、小学生300円、未就学児童は無料となっています。

 

本殿に続く階段の脇にも見事な石垣が続きます。

 

階段脇から天に向かって伸びる夫婦杉

杉の巨木が途中から二股に分かれています。

 

神廟拝所(旧講堂)

こちらは神廟拝所妙楽寺の代は、講堂阿弥陀三尊が本尊として祀られていました。

本尊は廃仏の際に安部文殊院に移され、なぜかそちらでは釈迦三尊として祀られています。

妙楽寺の講堂は680(天武天皇9)年に建てられた、境内で最も歴史の古い堂宇の一つ。現在の建物は1668(寛文8)年に再建されたもので、重要文化財に指定されています。

妙楽寺で最初に建立された十三重塔の正面にあり、中心的な仏堂でした。

ちなみに神廟とは十三重塔のことです。

 

神廟拝殿と総社拝殿の間に広がる空間は蹴鞠の庭です。

毎年4月29日と11月3日にここで「けまり祭」が行われます。

藤原鎌足中大兄皇子が飛鳥法興寺の蹴鞠会(けまりえ)で出会った故事にちなんで行われています。

ちなみに4月29日は昭和天皇、11月3日は明治天皇の誕生日。

 

内部壁面には、天女像と羅漢像。

煌びやかな仏画で、完全に仏教寺院の内装ですね。

ちなみに、建物内や仏像、神像は撮影不可という場所が多いですが、談山神社は全て撮影可です。

 

講堂内に安置された藤原鎌足

かつてはこの場所に、阿弥陀三尊像がお祀りされていました。

 

妙楽寺藤原鎌足像というと、室町時代、ことあるごとに「破裂」するという怪異で知られました。

どんな怪異だったか、興味のある方は下記の過去記事を是非ご覧ください。

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総社近辺

神廟拝所の前に立つ末社総社拝殿

1668(寛文8)年に造営され、こちらも重要文化財です。

談山神社の総社は、926(延長4)年に勧請されたとされ、日本最古の総社といわれます。

 

こちらが末社総社本殿。1668(寛文8)年に造替された聖霊(本殿)を1742(寛保2)年に移築したもの。

こちらも、もちろん重要文化財

 

美しい彩色は西の日光の二つ名にふさわしい美しさですね。

 

こちらは閼伽井屋(あかいや)。

1619(元和5)年に造られ、摩仁法井という定恵の読経で竜神が現れたと伝わる井戸を覆っています。

こちらも重要文化財

重要文化財建築の集中具合に、ちょっと感覚がマヒするほど。

法隆寺興福寺同様、境内に貴重な建築がこれでもかと集まっています。

十三重塔、権殿周辺

1532(享禄5)年に再建された重要文化財十三重塔

世界で唯一現存する木造の十三重塔で、談山神社を代表する建築です。

多武峰妙楽寺の歴史は、678(天武天皇7)年に藤原鎌足の墓が多武峰に改葬され、その上にこの十三重塔が建立されたことに始まります。

巨大な塔婆で、非常に仏教色が濃い建築ですが、神廟として取り壊されることなく残されました。

明治維新政権内には藤原氏の公卿出身者も多かったので、さすがに祖霊の墓を取り壊すことは憚られたのでしょう。

 

こちらは権殿

元は、阿弥陀像が安置された常行堂で、室町後期の永正年間(1505~1521年)再建とされ、重要文化財です。

室町時代以降、延年舞や能が催されていたことから、摩多羅神が祀られ、芸能、芸術の神として今も信仰を集めているとか。

摩多羅神神仏習合の神なので、よく信仰が残ったものだと思います。

十三重塔などもそうですが、素直に新政府の命令に従った神社は、神仏分離が徹底されずに、ひっそり残った信仰もあったのかな。

 

権殿の西隣に鎮座するのが末社比叡神社本殿

1627(寛永4)年造立された重要文化財の建築で、元は飛鳥大原にあったものが、江戸時代に当地に移されたとのこと。

もとは神仏習合の神、山王権現を祀ったため、山王宮と呼ばれていました。

山王権現と言えば、比叡山延暦寺天台宗の鎮守であり、延暦寺との関係の深さを示すお社です。

山王権現は明治の神仏分離で「廃止」されてしまい、全国の山王社同様、祭神は大山咋神に変更。名称も現在の社名に変更されました。

明治の神仏分離令の影響は、寺院だけでなく神社にも大きく及んだことが分かる建築です。

 

権殿と、比叡神社などの末社、摂社の集まるエリアの間に、談山(かたらいやま)への登山道がありました。

藤原鎌足中大兄皇子が、蘇我氏に対するクーデターを企てた場所として名高いですね。

本殿周辺

本殿の東西に建つ西宝庫東宝

西宝庫・東宝

ともに1619(元和5)年に再建され、朱塗りが美しい建築です。

 

室町後期の1520(永正17)年に再建された重要文化財楼門拝殿

懸造の拝殿は、妙楽寺の時代は護国院と呼ばれていました。

役割は現在と同じく、本殿の拝所です。

拝殿内部も漆喰と朱塗り柱、梁が大変美しい空間です。

 

こちらが本殿

幕末の1850(嘉永3)年に造替され、三間社隅木入春日造という珍しい様式に、極彩色が美しい、重要文化財の建築。

妙楽寺の時代は聖霊と呼ばれ、現在と同じく藤原鎌足が祭神として祀られていました。

もともと藤原鎌足を本尊として祀る寺であったため、明治の神仏分離では全山神社になるという思い切った転身が可能だったと言えますね。

如意輪観音堂・恋神社

こちらの如意輪観音堂は、近年造られたお堂になります。

普段は秘仏談峰如意輪観音が、公開されていました。

妙楽寺時代から唯一残された仏像で、妙楽寺を開山した定恵が、唐から如意輪観音像持ち帰り、妙楽寺に祀ったと伝わります。

なお、こちらに現存しているものは、鎌倉時代の末期に複製されたもので、定恵が持ち帰ったものではありません。

明治の廃仏で、開山にまつわる仏像であったことから、この像だけは流出させるに忍びないと、密かに守られたようですね。

特に文化財指定はされていませんが、ふくよかで実在感あふれる名品だと思います。

 

こちらの観音様には、右足にえぐれたような傷跡があります。

江戸時代、病で右足に膿がたまって歩けなくなった子どもが、病の治癒をこの観音に祈願して快癒しましたが、この観音像が身代わりとなったため、子どもの患部と同じ右足の甲がえぐれたという霊験譚が伝わります。

その他、安置されていた堂が火災に遭った時、自ら歩いて脱出したという伝説もあって、何かと足に縁のある仏様になります。

秘仏如意輪観音像は、近年、毎年6月1日~7月31日の2か月間、一般公開されていますので、ぜひ機会を見つけてご覧いただきたい仏様です。

 

こちらは、現在「恋神社」として縁結びの祈願所とされている摂社、東殿

江戸時代までは本願堂と呼ばれ、形を見ていただくと本殿そっくりです。

実はこちらも、総社本殿と同様、1619(元和5)年に造替された本殿。

1668(寛文8)年の造替にともない移築されたもので、重要文化財に指定されています。

妙楽寺聖霊院は造替のたびに旧社殿が移築されているようで、奈良県広陵町にある百済寺本堂(通称・大職冠)も、享保の造替で建てられた社殿と伝わっています。

百済寺奈良県広陵町)本堂・大職冠

三間社隅木入春日造のその様式は、現本殿や東殿、総社本殿とも通じ、見比べると改めてそっくりですね。

百済寺本堂は現在広陵町指定文化財ですが、棟札などから妙楽寺聖霊殿であったことが証明されれば、三重塔と並んで、間違いなく国指定の重要文化財になるかと思います。

百済寺の詳細については下記の過去記事をぜひご覧ください。

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かたらいの杜

お参りが終わり、参拝受付の隣に2022年4月1日にオープンした、かたらいの杜で休憩を取りました。

店内の様子です。

軽食と各種飲み物が提供されています。

私は「井戸水コーヒー」をアイスでいただきました。

本当に軟らかい舌触りのおいしいコーヒーで、クールダウンすることができました。

閉店間際にお邪魔したのですが、店員さんも大変親切に応対してくださり、本当に居心地の良い場所でした。

談山神社にお立ち寄りの際は、ぜひ皆さんご利用ください。

 

談山神社は、中世大和の激しい争乱の痕跡から、神仏習合寺院の大伽藍を往時のまま目の当たりにできるという、全国的にも貴重なスポットです。

また、紅葉の名所として名高い神社ですが、真夏は涼風が本当に心地よい場所ですので、下界の猛暑を避けて、青紅葉を楽しむというのはいかがでしょうか。

 

<お近くのお宿>

談山神社の入山口正面の老舗ホテルです。

6種の肉とお野菜を、鉄板焼きと鍋、両方で楽しめる「義経鍋」が名物!