木沢長政の死後、大和で台頭したのが筒井順昭でした。順昭は長政派の残党を掃討しながら勢力を強め、元々同格の有力国人だった箸尾氏、十市氏、そして最大のライバル越智氏を降してわずかか4年で大和統一を果たします。 順昭の大和統一事業と最期を紹介しま…
享禄・天文の畿内の混乱から下剋上を果たした木沢長政は、信貴山城を築いて大和への侵攻を開始する。 筒井氏を始め多くの国人たちが長政に従う中、十市遠忠は龍王山城を拠点に敢然と立ち向かい、十市氏を大和有数の戦国大名へと成長させた。 また十市遠忠は…
明応の政変以来続く他国衆による大和侵攻の流れの中、1528年には筒井と越智の戦いで混乱する大和へ柳本賢治による大和乱入、1532年には一向一揆が相次いで勃発。 筒井、越智を中心とした大和国人の動向を畿内の政治情勢と併せて紹介します。
永正の錯乱以降の混乱で細川京兆家家督を握った細川高国も、家中の混乱を宿敵・細川晴元、三好元長主従に衝かれて京都を追われます。 畿内が混乱する中、筒井順興は越智家頼との同盟を破棄して再び筒井と越智の抗争が再燃。 再び大和の争乱が激しくなる中、…
永正の錯乱で細川政元が暗殺され勃発した細川高国と細川澄元の細川京兆家家督を巡る争いは幕府と畿内全域を巻き込む争乱へと発展します。 激動の畿内の戦国史を大和武士の活躍を中心に紹介します。
永正の錯乱により赤沢朝経が死亡すると一度は領地を追われた大和国人一揆は故地に戻ります。 細川氏の分裂によって混迷を極める畿内の戦乱に巻き込まれていく大和国人たちの活躍を紹介します。
応仁の乱から明応の政変と戦国の争乱が進む中、ついに大和の領地が他国衆に知行される事態が発生します。 1499年に畠山尚順に与する筒井党を討伐するため大和へ乱入した細川政元家臣の赤沢朝経は北和を席巻して寺社を焼き、反抗する国人の土地を自領としまし…