皆さんこんにちは。
2022年7月8日、安倍晋三元首相が遭難した場所として、にわかに全国的な注目を受ける場所となってしまった、近鉄大和西大寺駅。
近鉄沿線の奈良県民には、とても馴染み深い駅が、全世界を震撼させるような事件の現場となってしまったことを、非常に残念に思います。
さて、大和西大寺駅を利用したことのある方でも、その駅名の由来となっている西大寺に参拝された方は、もしかしたら多くないかもしれません。
駅名で馴染みはあるんだけど、実際にお寺は行ったことがない。
私もそんな奈良県民の一人でしたが、4月末に初めてお参りしてきました。
西大寺とは
場所はこちら。
創建は765(天平神護元)年、称徳天皇によって創建されました。
その名が示すように、東大寺と並ぶ巨大伽藍で、奈良時代は薬師金堂、弥勒金堂に東西の五重塔が立ち並び、南都七大寺に数えられる大寺院でした。
こちらが、創建当初の伽藍配置図。
奈良時代の子院も含めた西大寺のおおよその境内範囲を、現在の地図と重ねると以下の通り。
薄赤で塗られた範囲で、平城宮の西側、城北大路と城南大路に挟まれた右京の範囲ほぼ全域が、その境内地という驚きの大きさ。
現在、西大寺と名の付く町名の場所は、ほぼすべて境内でした。
ちなみに濃赤の範囲が現在の境内になります。
父である聖武天皇の建立した東大寺に負けない、立派な伽藍を建造したいという、称徳天皇の意気込みが、その規模からも伝わりますね。
しかしこの巨大伽藍も、平安時代に入ると著しく衰退し、度重なる自然災害もあってほとんどの堂塔が失われてしまいます。
荒廃した西大寺に一大転機が訪れるのは1235(文暦2)年、戒律復興を目指して、真言律宗を興した叡尊が、その拠点として西大寺に入ったことでした。
※叡尊については下記の過去記事で詳しくご紹介しています。
叡尊は布教の拠点として、50年以上にわたって西大寺に住し、この間伽藍の復興にも尽力しました。
その後室町から戦国にかけての兵火で、叡尊により復興された堂塔は悉く失われたものの、現在の西大寺の伽藍構成は、叡尊により復興された姿をベースとしています。
江戸時代に入ると、幕府から寺領300石を認められ、ようやく伽藍の再建を開始。現在の姿になりました。
境内
それでは、いよいよ西大寺の境内です。
南門
西大寺の正面玄関といえる南門。
南門ですが、2022年1月から通行できなくなったとのこと。
今は、ほとんどの参拝者が、西大寺駅から最寄りの東門から入山されるのかとは思いますが、お寺の正面玄関ということもありますし、喜光寺から北上してやってきた筆者としては、ここを通って入山したかった(苦笑)
ちなみに南門は室町時代の再建で、現存する西大寺の建築物の中では最古の建物。
門の奥に本堂も見えて、西大寺の表玄関にふさわしい景観です。
いろいろ事情はあるのでしょうが、ここはやはり通れるようにしていただきたい。
南側から境内に入るルートとしては、西大寺保育園の前の四王堂南門から入山できます。
ちなみに西大寺は、境内への入山は無料。
本堂・四王堂・愛染堂のいずれかに入るときに三堂の共通拝観券を求めると、それぞれの堂内の拝観が可能です。
拝観時間:8:30~16:30
拝観料:一般・800円、中高生・600円、小学生・400円
また、寺宝の展示を行う聚宝館があり、年3回開館されています。
開館期間: 1/15~2/4、4/20~5/10、10/25~11/15
見学には別途300円が必要です。
四王堂
こちらは、1674(延宝)再建の四王堂。
もともと西大寺は恵美押勝の乱の平定を祈願して、称徳天皇が四天王像の造立を発願し、この四王堂に納められたことに始まりました。
現在も四天王像が安置されており、すべて重要文化財。
像の本体は木像の多聞天像は室町時代、銅像の他3体は鎌倉時代の作とされますが、それぞれの像が踏みつける邪鬼は、奈良時代に造立された当時のまま残されており、創建期に作成された唯一の残存彫刻となります。
また、現在の本尊は、1289(正応2)年、亀山上皇の院宣によって京都法勝寺十一面院から移された十一面観音立像。
この十一面観音像は平安時代後期の作で、重要文化財に指定されており、本尊であることからこの堂も観音堂の別称を持ちます。
護摩堂
もともと本堂の南西にある鐘楼の北西に南を向いて建てられていましたが、1979(昭和54)年に現在の場所に移設されました。
本堂
1798(寛政10)年~1808(文化5)年にかけて再建された本堂。
江戸後期の大規模仏堂の代表的建築として、重要文化財に指定されています。
土壁を一切用いない伝統的建築が特徴の建物で、実際に見ると写真から受ける印象以上に巨大なお堂です。
本尊の木造釈迦如来立像は、1249(建長元)年の作で重要文化財。
東塔跡越しに見る本堂は、西大寺を代表する光景です。
東塔跡
西大寺は創建当初、東西二つの五重塔がそびえてましたが、現本堂前に東塔の基壇が残されています。
当初八角九重塔として設計されたこともあり、巨大な基壇になっています。
平安時代に東西両塔ともに焼失しましたが、東塔だけは再建されたものの、これも1502(文亀2)年の火災で焼失。以後基壇だけが残ります。
伽藍の中央に陣取る東塔跡は、境内でも抜群の存在感をもつ遺構です。
おそらく鎌倉時代に再建されたとき、こちらの塔を中心として伽藍が配置されたのだろうと思います。
近年、薬師寺や興福寺など、奈良の寺院では失われた伽藍の復興が積極的に行われていますし、西大寺の五重塔も、いつの日か復興される日が来ないかと、夢が膨らみます。
愛染堂
こちらは愛染堂。
京都御所の近衛家政所御殿を、近衛家の寄進によって1762(宝暦12)年にかつての叡尊の住坊跡に移築したものです。
という訳で、宸殿造りの仏堂で、移築時に瓦葺きに葺き替えられたのだと思います。
本尊の愛染明王坐像は1247(宝治2)年作の重要文化財ですが、秘仏で普段は直接拝観することができません。
こちらのお堂で必見の仏像は、1280(弘安3)年、叡尊80歳のときに弟子たちの報恩徳謝の願いととも作成された肖像彫刻、国宝の叡尊坐像でしょう。
鐘楼
寛文年間(1661~1673年)の建築とされる鐘楼。
もとは兵庫県川西市にあった多田院の鐘楼で、多田院が明治の廃仏毀釈で神社となったとき、西大寺に移築されました。
多田院はもともと多田源氏の祖廟として創建されましたが、鎌倉時代になって衰退していたのを、叡尊の弟子である忍性が別当となって復興。
以後、真言律宗の寺院となっていましたが、廃寺となるとき所縁の深い西大寺に移築されたのです。
東門
西大寺を訪れる多くの方が、大和西大寺駅を利用されると思いますが、駅から最寄りの門がこちらの東門になります。
今回西大寺を初めて訪れましたが、コンパクトながら意外と広い印象を受ける境内でした。
境内は無料で入山できますが、お堂の中の仏様をはじめとした寺宝の数々は、平安時代から室町時代にかけての逸品ぞろいですので、ぜひ拝観いただきたいです。