奈良の人物
皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の空中攻撃隊総隊長、淵田美津雄をご紹介して今回5回目です。 www.yamatotsurezure.com 真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の序盤戦、日本は瞬く間に南太平洋を席捲し、アメリカ、イギリスを圧倒しました。 敗戦続きのアメリカ…
皆さんこんにちは。 成功する組織には優れたリーダーはもちろんですが、優秀な補佐役となるナンバー2がいるものです。 織田信長の覇業を継承して、天下人となった豊臣秀吉。 下層階級の出身から武士となったと考えられる秀吉が、第一の家臣として、終生最も…
皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の現場総指揮官、淵田美津雄をご紹介して今回4回目です。 徹底した隠密行動で真珠湾奇襲を成功させた、日本海軍の第一航空艦隊は、アメリカ太平洋艦隊の主力戦艦の多くを撃沈、大破させ、所期の作戦目的を達成しました。 www.y…
皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃隊の総隊長、淵田美津雄をご紹介しています。 日中戦争が泥沼化する中、中国、東南アジアへの日本軍の進出をめぐり、日米は一触即発の緊張関係となっていました。 www.yamatotsurezure.com 1941(昭和16)年11月26日、給油艦6…
皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃隊の総指揮官を務めた淵田美津雄の半生をご紹介する、今回2回目となります。 前回はその出生から海軍士官となり、飛行将校として歩みだした淵田をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 1922年のワシントン海軍軍縮条約以…
皆さんこんにちは。 今回ご紹介する人物は、日米開戦の火ぶたを切った真珠湾攻撃で、真珠湾攻撃隊の総指揮を執り、「トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」のトラ連送の暗号打電を行った、淵田美津雄です。 太平洋戦争の戦史について、詳しい人以外、日本で…
皆さん、こんにちは。 奈良にまつわる話題や人物について、ご紹介してきた当ブログですが、今回ご紹介するのは村田珠光という人物です。 村田珠光のこと、ご存じでしょうか。 室町中期に奈良に生まれた人物で、現在我々がイメージする茶道、茶の湯の様式を創…
皆さんこんにちは。 飛鳥時代からの建築が今なお健在な法隆寺。 この建築を支えてきたのが、代々法隆寺に奉仕してきた番匠(宮大工)たちです。 法隆寺が生んだ不世出の宮大工といえば、昭和の大修理や薬師寺の伽藍復興で活躍した、西岡常一棟梁を思い浮かべ…
皆さんこんにちは。 不世出の宮大工、西岡常一棟梁をご紹介してきた当記事も今回が5回目で、最後となります。 薬師寺では金堂と西塔が再建され、その後も伽藍復興が続くことになります。 www.yamatotsurezure.com 常一は引き続き薬師寺棟梁として、この大事…
皆さんこんにちは。 最後の法隆寺宮大工棟梁、西岡常一棟梁の足跡をご紹介する記事の今回は4回目です。 www.yamatotsurezure.com 戦後、法隆寺金堂の復元修理を終えた後、広島県福山市の明王院の解体修理、法輪寺三重塔の再建に参加していた常一ですが、いよ…
皆さんこんにちは。 不世出の宮大工、西岡常一棟梁をご紹介してきましたが、今回3回目となります。 1934(昭和9)年に始まった法隆寺昭和の大修理は、日中戦争とそれに続く太平洋戦争の時期に重なり、棟梁の一人として解体修理に従事していた壮年の西岡常一…
皆さんこんにちは。 法隆寺の金堂復興、法輪寺の三重塔再建、そして薬師寺の復興伽藍造営と、数々の歴史的な寺院の改修、復興に携わった不世出の宮大工、西岡常一。 前回は、その生い立ちと、棟梁になるまでをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 1934…
皆さんこんにちは。 前回は筒井氏の伊賀転封から、嶋左近(島左近)の筒井氏退去、石田三成の家臣となるまでの動向をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は三成のもとでの左近の活躍を追っていきたいと思います。 文禄の役と大和検地 佐和山での…
皆さんこんにちは。 奈良で文化遺産といえば、やはり古代から伝わる寺社建築を思い浮かべる方が多いことでしょう。 特に、法隆寺西院伽藍や薬師寺の東塔は、飛鳥、天平時代から1300年以上も残る、日本最古級の木造建築として知られ、世界遺産にも登録された…
皆さんこんにちは。 その人生と実像が謎に包まれた嶋左近(島左近)について、筒井順慶の家臣時代について、ご紹介してきました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、順慶死後の左近の動向について、ご紹介していきたいと思います。 筒井氏退去 石田三成の家…
皆さんこんにちは。 前回は、謎に包まれた嶋左近(島左近)の出自について、諸説をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、またもや謎だらけの、筒井氏時代の左近について、ご紹介したいと思います。 筒井順慶の家臣となった時期 筒井の右近左近 …
皆さんこんにちは。 嶋左近(島左近)といえば、関ケ原の戦いで西軍を率いた石田三成の重臣として知られています。 特に関ケ原の前哨戦ともいうべき杭瀬川の戦いで東軍を打ち破り、関ケ原の戦いでも石田隊の主力として奮戦して武名を轟かせ、今も小説や漫画…
皆さんこんにちは。 2020(令和2)年の初場所は、奈良県出身としては98年ぶりに、徳勝龍が西前頭17枚目からの劇的な優勝を遂げました。 奈良県は、「相撲発祥の地」(あくまで神話上ですが…)ともされているものの、明治以降の大相撲の歴史の中で幕内力士は1…
皆さんこんにちは。 大和国の覇権をめぐり筒井順慶とはてしない抗争を続けた松永久秀。 辰市城の戦いで順慶に大敗した久秀は、その後振るわず、信長と対立したのち、その軍門に下ることになります。 www.yamatotsurezure.com 主家、三好本宗家が滅亡し、織田…
皆さんこんにちは。 三好三人衆との和睦で、再びかつての三好家として結集していく動きの中、久秀は足利義昭の幕府とは決別していくことになります。 www.yamatotsurezure.com この久秀の選択は、はたして彼にとって吉と出たのでしょうか。 辰市城の戦い 信…
皆さんこんにちは。 三好三人衆のクーデターで三好家中から一度は追放され、窮地に追い込まれた松永久秀でしたが、三好義継と合流して大仏殿の戦いで勝利し、織田信長の上洛によって形勢を挽回することに成功しました。 www.yamatotsurezure.com その後の久…
皆さんこんにちは。 三好家を追放され、筒井順慶、三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、岩成友通)の攻勢についに行方不明となってしまった松永久秀。 www.yamatotsurezure.com 主君三好長慶の死後、順風満帆に出世街道から一転、窮地に追い込まれた久秀ですが…
皆さんこんにちは。 前回は教興寺の戦いを中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、長慶死後の活躍を中心にご紹介します。 将軍暗殺 三好家の分裂 久秀失踪 将軍暗殺 1564(永禄7)年7月、一代の英雄三好長慶がこの世を去りました。 長慶が…
皆さんこんにちは。 前回は、久米田の戦いから、三好長慶が窮地に追い込まれるまでをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、いよいよ、戦国における畿内最大の会戦となる、教興寺の戦いと、久秀の活躍をご紹介していこうと思います。 教興寺の戦…
皆さんこんにちは。 土倉庄三郎(どくらしょうざぶろう)という人物をご存じでしょうか。 この方、奈良を代表する明治の財界人ではあるのですが、現在、知名度は決して高くはないかもしれません。 現在では奈良県でも川上村以外では、知らない方も多いんじゃ…
皆さんこんにちは。 前回は、三好長慶と将軍足利義輝の抗争の中、一城の主となるまでの松永久秀についてご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、いよいよ、大和での久秀の活動についてご紹介したいと思います。 久秀の大和侵攻 異例の出世 旧勢力…
皆さんこんにちは。 前回は、松永久秀の出生地候補や、三好長慶の臣下として名を現しはじめたころまでを紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は長慶の重臣として、京都をめぐる争乱に身を置く久秀の姿を中心にご紹介したいと思います。 将軍義輝との…
今村勤三翁の像(安堵町歴史民俗資料館) 皆さんこんにちは。 さて、この記事の公開日、11月4日は1887(明治20)年に奈良県が「再設置」された日です。 実は「奈良県」、1876(明治9)年から1887年までの11年間、消滅していた時期があったことをご存じでしょ…
皆さんこんにちは。 当ブログでは、筒井順慶、柳生宗厳と、奈良に所縁のある歴史上の人物のご紹介をしてきました。 www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com 今回から、戦国きっての梟雄として知られる松永久秀についてご紹介したいと思います。 さ…
皆さんこんにちは。 松永久秀の配下として、信長上洛など激動する大和の情勢を巧みに生き抜いた柳生宗厳の姿を前回ご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は信長上洛後も、なお揺れ動く大和で、どのように宗厳は動いたかを見ていきたいと思います。 …