大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

第60回お城まつり(大和郡山)に行ってきました

皆さんこんにちは。 奈良県大和郡山市の一大イベントである「お城まつり」は、毎年3月下旬から4月初旬に、「日本さくら名所100選」にも選ばれている郡山城址で開催されています。 昨年は新型コロナウィルス感染症の流行で、残念ながら中止になってしまいまし…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(6)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。最終回は世阿弥の死後の能楽はどうなっていったのか、そしてなぜ世阿弥はいったん一般社会から忘れられながら…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(5)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。5回目は将軍足利義教から疎まれついには佐渡に配流となった最晩年の世阿弥を紹介します。

第10回大和な雛まつり(2021年)に行ってきました。

皆さんこんにちは。 早いもので2021年も3月に入りました。 この時期、奈良県大和郡山市の風物詩といえば、郡山城で開催される盆梅展と、郡山町内一帯で開催される大和な雛まつりです。 昨年から新型コロナウィルスによる感染症の拡大で、いろいろなイベント…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(4)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。4回目は観世座の分裂と、孤高の芸術家となっていく世阿弥、そして最愛の後継者であった愛息元雅の死までをご紹…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(3)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。3回目は義満死後の世阿弥の苦境と、世阿弥の目指した能が当時の社会に受け入れられず徐々に孤立していく姿をご…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(2)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。2回目は少年期の世阿弥と室町殿足利義満との出会いから、父観阿弥死後の苦闘、そして義満の死までを紹介します…

異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(1)

史上最も有名な能楽師世阿弥は明治まで一般では完全に忘れられた存在でした。どうして世阿弥は忘れられたのか。その生涯を通じて解き明かします。初回は父観阿弥がもたらした猿楽の革新と世阿弥の出生までを紹介します。

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(9)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の空中攻撃隊総隊長を務め、戦後キリスト教への信仰に目覚めて伝道の道に入った淵田美津雄の数奇な生涯をご紹介して、今回9回目。最終回となります。 www.yamatotsurezure.com 敗戦で軍人として職を失い、東京裁判では勝者によ…

筒井順慶とは何者か

皆さんこんにちは。 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」にいよいよ筒井順慶が登場しました。 戦国時代に関心がある方なら、名前くらいは聞いたことがある、という人も多いかもしれないですが、ドラマや小説などに取り上げられることも少なく、一般的な知名度は…

奈良から名古屋へ新幹線通勤している件(4)ナゴヤで食べるご当地ラーメンいろいろ

皆さんこんにちは。 奈良から名古屋に通い始めて、はやくも半年あまり経ちました。 残業が多いこともあって、毎日晩御飯はコンビニのパンばかりが続いていましたが、さすがに半年も続けるとうんざりです。 たまには温かいものを食べて帰りたい! という訳で…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(8)

皆さんこんにちは。 日米開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃。 その空中攻撃隊総隊長、淵田美津雄をご紹介して今回8回目です。 www.yamatotsurezure.com 敗戦とともに公職追放となって、故郷奈良に帰った淵田。 恩給も止められ経済的には困窮しつつも、家族ととも…

法起寺のコスモス

皆さんこんにちは。 秋も深まり、朝晩も冷え込んできました。 この時期の代表的な花に、コスモスがありますが、私の自宅のご近所にある斑鳩町の世界遺産、法起寺周辺は、近年すっかりコスモスの名所になってきているようですね。 私にとっては2015年に12年ぶ…

奈良から名古屋へ新幹線通勤している件(3)コロナ禍のナゴヤでプロ野球観戦

皆さんこんにちは。 今年は名古屋に職場が移り、コロナ禍もあって、プロ野球の観戦はほとんど諦めてました。 特に贔屓のタイガースは、通常でも週末は甲子園のチケット取るのが大変なのに、今年は入場制限でさらに入手が困難な状況に、、 10月に入り、既に今…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(7)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃総隊長として、日米開戦の火蓋を切り、戦後キリスト教伝道者となった淵田美津雄をご紹介して今回7回目になります。 www.yamatotsurezure.com 1945(昭和20)年8月5日、連合艦隊航空主席参謀であった淵田は、出張で広島を訪れ、…

歴史上の人物に見る「逃げ恥」

皆さんこんにちは。 「逃げるは恥だが役に立つ」といえば、2016年にTBS系でドラマ化され、主題歌も大ヒットした漫画のタイトルですね。 もとはハンガリーのことわざで、恥ずかしい逃げ方だとしても、生き抜くことが大切であることを意味します。 「逃げる」…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(6)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の現場総指揮官、淵田美津雄を紹介している当記事も、今回6回目です。 1942(昭和17)年6月、日本はミッドウェー海戦で主力空母4隻と多数の航空機を失って大敗します。 www.yamatotsurezure.com 第一航空艦隊旗艦、赤城の飛行…

みんな大好き「陰謀論」。黒幕は存在するのか。

皆さんこんにちは。 今回は巷にあふれる「陰謀論」について取り上げてみたいと思います。 個人的にはいろいろと想像を膨らませてくれることもあり、歴史的事件の陰謀論の類は大好物です。 とはいえ、扱いを誤ると、危険なものにもなりかねないものなので、注…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(5)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の空中攻撃隊総隊長、淵田美津雄をご紹介して今回5回目です。 www.yamatotsurezure.com 真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の序盤戦、日本は瞬く間に南太平洋を席捲し、アメリカ、イギリスを圧倒しました。 敗戦続きのアメリカ…

天下人を支えたナンバー2。大和大納言、豊臣秀長

皆さんこんにちは。 成功する組織には優れたリーダーはもちろんですが、優秀な補佐役となるナンバー2がいるものです。 織田信長の覇業を継承して、天下人となった豊臣秀吉。 下層階級の出身から武士となったと考えられる秀吉が、第一の家臣として、終生最も…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(4)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の現場総指揮官、淵田美津雄をご紹介して今回4回目です。 徹底した隠密行動で真珠湾奇襲を成功させた、日本海軍の第一航空艦隊は、アメリカ太平洋艦隊の主力戦艦の多くを撃沈、大破させ、所期の作戦目的を達成しました。 www.y…

明智光秀と奈良

皆さんこんにちは。 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公として、脚光を浴びている明智光秀。 彼のゆかりの地といえば、領地のあった近江坂本や、丹波亀山、福知山が有名でしょうか。 奈良県域の話題や歴史的な出来事をご紹介する当ブログとは一見無縁の…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(3)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃隊の総隊長、淵田美津雄をご紹介しています。 日中戦争が泥沼化する中、中国、東南アジアへの日本軍の進出をめぐり、日米は一触即発の緊張関係となっていました。 www.yamatotsurezure.com 1941(昭和16)年11月26日、給油艦6…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(2)

皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃隊の総指揮官を務めた淵田美津雄の半生をご紹介する、今回2回目となります。 前回はその出生から海軍士官となり、飛行将校として歩みだした淵田をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 1922年のワシントン海軍軍縮条約以…

キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(1)

皆さんこんにちは。 今回ご紹介する人物は、日米開戦の火ぶたを切った真珠湾攻撃で、真珠湾攻撃隊の総指揮を執り、「トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」のトラ連送の暗号打電を行った、淵田美津雄です。 太平洋戦争の戦史について、詳しい人以外、日本で…

奈良から名古屋へ新幹線通勤している件(2)史跡を毎日巡る日々。

皆さんこんにちは。 私の勤め先は、現在も原則テレワーク継続中なのですが、私は業務の都合から、6月末から名古屋への通勤を再開してます。 テレワークに馴れきってたので、再び片道2時間の通勤はかなり堪えていますが、最近ようやくリズムができてきました…

変節漢か忠義の士か。藤堂高虎

皆さんこんにちは。 藤堂高虎という戦国武将をご存知でしょうか。 築城の名手として知られ、その特徴は高く石垣を積み上げる高石垣。伊賀上野城が代表格ですが、同じく戦国末期に築城の名手として知られた加藤清正の反りを重視した石垣とはまた違った見どこ…

ブログ開設から1年経ちました。

皆さんこんにちは。 2020年7月10日で当ブログ開設から早いもので1年になりました。 読者の皆さん、毎度読んでいただいて本当にありがとうございます! 1年振り返り 当ブログのアクセス数トップ3 1年振り返り 学生の頃はサークルで創作したり、いろいろ自分の…

日本独自の美「侘び」の発見者、村田珠光

皆さん、こんにちは。 奈良にまつわる話題や人物について、ご紹介してきた当ブログですが、今回ご紹介するのは村田珠光という人物です。 村田珠光のこと、ご存じでしょうか。 室町中期に奈良に生まれた人物で、現在我々がイメージする茶道、茶の湯の様式を創…

三英傑(信長・秀吉・家康)は理想の上司、経営者か!?

皆さんこんにちは。 いつもは奈良を中心とした人物や歴史、史跡と、少々ニッチな話題を書いてる当ブログですが、「たまにはメジャーどころの話題も書いてみたいな」ということで、今回は戦国の三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を取り上げてみたいと思い…