大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

奈良から名古屋へ新幹線通勤している件(2)史跡を毎日巡る日々。

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皆さんこんにちは。

 

私の勤め先は、現在も原則テレワーク継続中なのですが、私は業務の都合から、6月末から名古屋への通勤を再開してます。

 

テレワークに馴れきってたので、再び片道2時間の通勤はかなり堪えていますが、最近ようやくリズムができてきました。

 

近鉄郡山から名古屋まで長い道中なのですが、車窓風景を楽しみながら毎日通ってます。

特に好物の城跡が、意外にたくさん見えるので、新幹線を中心に、見処スポットをご紹介したいと思います。 

郡山城

近鉄郡山駅を主発すると、すぐに西側の車窓に飛び込んでくるのが、郡山城の石垣です。 

場所はこちら。

大和郡山は、筒井順慶が信長の命で本拠を筒井城から郡山城に移したことから城下町として発展しました。

その後、郡山城には豊臣秀吉実弟で、豊臣政権のナンバー2であった秀長が大和、和泉、紀伊3ヶ国100万石の本拠としたことから、大幅に改修され、現在の姿の原型が秀長時代に完成しました。

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写真を撮ったのは、実は名古屋に通い始めた4月初旬。

なので、少し桜も残ってますね。

大和郡山市民には馴染み深い車窓風景ですが、水堀と石垣のすぐわきを電車が走るというのは、全国的にもそれほど多いわけではありませんので、お城大好きという方なら、気分が上がること間違いなしでしょう。  

八幡山城

一気に進んで、近江八幡です。

近江八幡は、秀吉の甥で後に関白となる豊臣秀次が1585(天正13)年に封じられ、八幡山城を築いて城下町を開いたことが始まりの町です。

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新幹線で京都を出発して10分ほどでしょうか。

日野川を越えるあたりから西側の車窓、近江八幡市街地の奥に見えてくる小高い山が八幡山城です。

撮影した場所はこのあたりです。

安土城に替わる近江の中心城郭として、秀吉が企図した城なのですが、新幹線からはかなり遠いですね。

近江八幡といえば、水郷巡りですが、最近ではバウムクーヘンで有名なCLUB HARIEのラ・コリーナ近江八幡が人気のスポットですね。 

観音寺城

近江八幡の市街を過ぎてすぐ、大きな山が西側の車窓に飛び込んできます。

こちらが近江の守護大名、六角氏の拠点で、中世山城では最大級の規模を誇る観音寺城です。

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パッと見、ただの山なので、おそらく気にもとめない方が大部分かもせれませんが、この山全体が城郭だったので、往時は中々の威容を誇っていたと思います。

ちなみに場所はこちらです。

ちなみに、新幹線から見て観音寺城のちょうど裏側に、織田信長が築いた安土城があります。

八幡山城安土城観音寺城と、近江八幡市は中世から近世にかけての代表的な城郭が密集していて、城好きには垂涎の町ですね。

東海道本線は、観音寺城安土城の間を走るので、両方とも見えるのですが、新幹線からは、観音寺城の陰に隠れて、安土城の姿を拝むことはほとんど出来ません。

彦根城

観音寺城を過ぎ、しばらくいくと彦根城が見えてきます。

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えっ?

どこにも見えないですか?

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よく目を凝らすと、遠くに微かに天守が見えてきます。

かなり新幹線から遠いですねー。

数少ない、江戸時代以前の現存天守が残る彦根城

マスコットのひこにゃんで有名です。

 

佐和山城

彦根城を過ぎてすぐ、新幹線の西側車窓に飛び込んでくるのが佐和山城です。

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石田三成の居城として有名ですね。

佐和山城自体は三成が入城するずっと以前から、街道筋を押さえる要衝として存在していました。

八幡山城観音寺城彦根城佐和山城と続きますが、新幹線から見て遠い、琵琶湖寄りの城は、どれも豊臣政権以降に築造された近世城郭です。

実は東海道新幹線は、旧街道にほぼ沿うように走っているため、中世以前からある観音寺城佐和山城は、線路のすぐそばに見えてきます。

戦国末期以降に造られた八幡山城彦根城は、琵琶湖の水運をより活用しやすくしたためか、旧来の街道から少し離れた湖畔のすぐそばに築かれたことが、車窓風景からよくわかりますねー。

 

伊吹山

米原を越えて新幹線の進路が東に向かうと、北側に大きな山が見えてきます。

滋賀、岐阜県境にそびえる滋賀県最高峰の伊吹山です。

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巨大な壁のような威容を誇る山で、古くから霊山として知られる山です。

その霊験の高さは、日本神話最強の武人、ヤマトタケルを返り討ちにしたと伝えられるほど。

ヤマトタケルはこの伊吹山の神との戦いで負ったダメージにより、大和へ帰る途中の鈴鹿で力尽きてしまうのですが、このエピソードの詳細は、のと爺さんの記事をぜひご覧ください!

kojikint70.hatenablog.com

 

関ヶ原

新幹線は岐阜県に入り、いよいよ天下分け目の決戦が行われた関ヶ原です。

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新幹線の車窓は絶好の古戦場鑑賞スポットで、ほぼ主戦場の全景を一望できます。

山に挟まれた狭隘な場所で、東西両軍15万余りが激突した光景は、壮観だったことでしょう。(前線の兵数はごく一部ですが)

壬申の乱南北朝の動乱でも決戦場となるなど、日本史のターニングポイントとなった場所です。

 

稲葉山城岐阜城

関ヶ原を抜け、濃尾平野に入ってくると、東側に遠く、金華山が見えてきます。

これも遠くてよく見えないですね(苦笑)。

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拡大するとこんな感じ。

肉眼だと、もう少しくっきり見えると思います。

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金華山といわれてもピンと来ないかたもいらっしゃるかと思いますが、斎藤道三が拠点とした稲葉山城岐阜城)です。

濃尾平野に入るとずっと見えてる、、ということは、稲葉山城からも濃尾平野を見渡せるということですよね。

かなり遠くからも見えたので、この地に目を付けた道三の慧眼に脱帽です。

 

清州城

 パロマ清州工場を過ぎると間もなく見えてくるのが、清州城の模擬天守

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新幹線の車窓から見える城跡としてはメジャーな存在で、実際に目にされてる方も多いんじゃないでしょうか。

清州城は室町時代尾張守護斯波氏の守護所が置かれた地であり、尾張の政治的中心地で、尾張を統一した信長が本拠としたことでも知られます。

ちなみに新幹線の車窓からは、五条川を越えて東側に視界に入る模擬天守が目を引くのですが、戦国期の清州城本来の主郭部は五条川を越える直前の、新幹線軌道下にあります。

本来の清州城は、五条川西岸の清州公園と東海道新幹線東海道本線の軌道の下に眠っているわけですが、模擬天守というわかりやすいランドマークのためか、すっかり五条川東岸側が清州城跡と認知されてしまっていますねー。

名古屋城

最後に、名古屋駅の直前、一瞬だけですが、日本を代表する巨大城郭の名古屋城が、新幹線の車窓から見えるポイントがあります。

場所はこちら。

名古屋駅に到着する直前に庄内川を渡るのですが、川を渡り切る直前に一瞬だけ、結構大きく見えます。 

しかし、ほんの一瞬しか見えないため、ほとんどの方に、認知されてないんじゃないでしょうか。

かく言う私も、毎日通っててようやく気付いたので、たまに新幹線に乗るだけでは、まず気付かないかなと思います。

何度も写真に撮ろうとチャレンジしていますが、残念ながら記事のアップに間に合いませんでした。

うまく撮れたらアップしたいと思います。

 

京都から名古屋まで新幹線で30分あまりですが、こうしてみると、色々なスポットのそばを走っているのがわかりますね。

でもいささか、E列(2列シートの窓側)の車窓に片寄ってしまいました。

というか、反対の車窓ってどこか見処あるかな。。

今度はそちら側にも注目してみたいと思います(笑)