皆さんこんにちは。
今回は、奈良県三宅町の伴堂(ともんどう)環濠をご紹介します。
「ともんどう」って、少し変わった読み方ですが、コンパクトな中にも見所の多い環濠集落でした。。
伴堂環濠とは
伴堂環濠の場所はこちらです。
ちなみに三宅町は奈良県内で最も面積の小さな町で、全国でも2番目に面積の小さなコンパクトシティ。
伴堂は6つある大字の一つになります。
お車でお越しの場合は、町役場の駐車場が便利です。
伴堂環濠は南北に細長い環濠集落で、集落の中心を太子道が貫きます。
太子道は、聖徳太子(厩戸王)が都のある飛鳥と、自身の本拠である斑鳩宮を往来するために設けられたと伝わる古代の道で、近世まで街道として機能していました。
現在でも斑鳩町から安堵町、三宅町あたりまでは往時の姿をよくとどめて残されています。
この太子道沿いに広がる伴堂環濠集落は、成立年代は不明ですが、室町時代から戦国時代にかけてしばしば伴堂城として、多聞院日記などの史料に名が見え、筒井方の国人であった伴堂氏の居館を中心として発生した環濠集落と見られます。
伴堂城は、1562(永禄5)年、箸尾氏により破却されたとありますが、現在も戦国期までに作られた環濠は、農業用水路として残されています。
環濠
町役場前の道路を東に向かうと、伴堂環濠の西側環濠の傍らに環濠の案内板が立っています。
集落の四方を囲む環濠は農業用水路として残っていますが、道路の脇から確認しやすいのは南側の堀になります。
集落内は5つの垣内から成り、かつては各垣内を区切る枝堀もあったようですが、現在はほとんど埋められてしまっているようで、今回の訪問では確認することができませんでした。
太子道
集落中心部を南北に縦貫する太子道を散策します。
こちらは太子道のわきに設置された「陽(ひかり)の風景」石彫モニュメント。
角度を変えると、影がご覧の通りハート形に見えるモニュメントになっています。
2014(平成26)年にNPO法人地域活性化支援センターから「恋人の聖地」に選定され、その2周年を記念して設置されました。
モニュメントの前から、太子道を南北に臨みます。
一直線に街道が伸びていますね。
モニュメントのすぐ南に、融通念仏宗寺院の融観寺があります。
こちらの境内付近に伴堂城があったと推定されています。
境内北側に、西国三十三所観音霊場の観音様がお祀りされていました。
もとは、太子道を少し北に向かったところにある杵築神社の神宮寺、安楽寺に祀られていましたが、明治の神仏分離令で安楽寺が廃寺になると、近隣の延壽院にいったん祀られた後、1934(昭和9)年に現在の場所に移転されました。
江戸時代、観音巡礼が広く庶民に広まったことから、経済的に余裕のない人々でも、巡礼の利益を得られるよう設置されたミニ霊場かと思います。
太子道を北に向かいます。
奈良の旧街道沿いにはお馴染みの大神宮の常夜灯が、こちらの集落内にもばっちり立っています。
大きな常夜灯が近隣に2か所もありました。
太子道から集落内に伸びる路地は非常に狭く、クランクやT字路、行き止まりが多い遠見遮断の構造になっています。
このあたりは、中世以来の環濠集落の特徴を色濃く残した町並みですね。
こちらは延壽院地蔵堂。
延壽院は真言宗寺院ですが、現在は無住。
こちらの地蔵堂には、地蔵菩薩、不動明王、弘法大師がお祀りされているとのこと。
杵築神社前に立つ三宅村道路元標。
1919(大正8)年に制定された旧道路法に基づき、各市町村に設けられたもので、当時の各市町村の中心部に置かれました。
太子道沿いにある杵築神社。
ご祭神は須佐男命です。
三宅町には、伴堂以外に屏風、但馬にも須佐男命を主祭神とする杵築神社があります。
古代、出雲、山陰方面からの移住者が多かったのかなと、しばし妄想。
ちなみに三宅町は6つの大字がありますが、石見、但馬、三河と3つが国号地名。
石見と但馬には近鉄の駅があり、駅名となっています。
こちらが拝殿です。
拝殿内には、幕末の1831(天保2)年と1848(慶応4)年に描かれた3枚の「おかげ踊り」の絵馬が奉納されており、こちらは県の有形民俗文化財に指定されています。
境内で輪になって踊る様子を描いた絵馬は、民俗学的にも貴重な資料で、お立ち寄りの際はぜひご覧ください。
その他、おかげ参りの絵馬など、当時の風俗を伝える絵馬がいくつか奉納されていました。
こちらは、集落の北の出入り口にお祀りされている「木抱かれ地蔵」。
1820(文政3)年に建立され、2013(平成25)年まで、よのみの木(エノキ)の根元に包まれていたため、「木抱かれ地蔵」と呼ばれています。
なかなかインパクトのあるお姿ですね。
21日間、誰にも見られないようにお地蔵さんにお願い事を続けると、願いが叶うという言い伝えがあるのだそうです。
環濠集落の北の出入り口。
クランクになっていて遠見遮断になっているところは、特徴的な環濠集落の出入り口です。
太子道は伴堂を出て、まっすぐ斑鳩を目指して北西に伸びています。
伴堂の北側は屏風という集落。
こちらも実は環濠集落です。
屏風は鎌倉仏教の巨人、忍性の出生地として知られ、非常に古くからの歴史を持つ集落です。
太子道沿いに、忍性の碑が建立されていました。
忍性は鎌倉時代に、貧困や病、差別に苦しむ多くの人々の救済を組織的に進めた、社会福祉事業の先駆的人物であり、多くの寺社を再建したことでも知られます。
※忍性については過去記事で詳しくご紹介していますので、こちらもご参照いただければと思います。
屏風については、NHKの人気番組、「鶴瓶の家族に乾杯」でも詳しく紹介されていました。
このまま太子道を北に向かうと、川西町に入り、能楽観世流所縁の面塚があります。
さすがに歴史ある古道で、1Kmたらずの距離にも見所がいっぱいです。
三宅町交流まちづくりセンターMiiMo
最後に三宅町散策の拠点にピッタリの施設、Miimoをご紹介します。
芝生広場が鮮やかで、とてもきれいな施設です。
場所はこちらで、三宅町役場に併設された施設になります。
開館時間:9:00~21:00
休館日:月曜日・年末年始(12/29~1/3)
館内1Fのフリースペースで、休憩したり、曜日替わりで様々な店が出店するMiiMo食堂で供される軽食などをいただいたりできます。
フリーWiFiも利用できるので、散策の拠点にピッタリの施設ですね。
私も大変暑い中散策しましたので、こちらで飲み物をいただきながら、一休みさせていただきました。
車が通れない狭い路地に、クランクや行き止まりが多数ある典型的な環濠集落の町並みは、車社会で生活するには不便もあるかと思いますが、中世以来の貴重な町並みとして、可能な限り長く後世まで残ってくれればと思います。