大和徒然草子

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廃仏毀釈で廃寺となった、大神神社の神宮寺(大御輪寺、浄願寺、平等寺)を巡る

皆さんこんにちは。

 

以前廃仏毀釈で廃寺となった、奈良県桜井市にある大神神社の3つの神宮寺についてご紹介しました。

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今回は、明治に廃寺となった大神神社神宮寺である大御輪寺浄願寺平等寺の現在の姿をご紹介します。

 

訪れる場所は、こちらの境内図で赤丸で囲った3か所。

大神神社境内図(大神神社HPから転載)

かつて三所寺と呼ばれ、神仏習合の三輪神道の中心にあった場所が現在どうなっているか、見ていきたいと思います。

大御輪寺

大御輪寺は、3つの神宮寺の中で最も古く、既に奈良時代には大神寺の名で成立していたとされます。

1285(弘安8)年に、叡尊が当寺を訪れ、多くの人に菩薩戒を授けたことから、西大寺の末寺として中興されました。

中世以降は三輪神道の拠点となっていましたが、明治の神仏分離令で廃寺になると、所蔵の仏像仏具は移転、売却され、境内の堂塔は本堂を除いて破却。本堂は若宮・大直禰子神社の本殿に転用されて、現在に至ります。

 

大神神社正面の二の鳥居から向かって左、北に向かうと、若宮社の鳥居と、入母屋造仏堂様式の大きな本殿の屋根が見えてきます。

どこからどう見てもお寺のお堂ですね。

奈良時代の創建以来改修が繰り返され、室町時代に現在の形に落ち着いたとされる本殿は、国の重要文化財に指定されています。

こちらのお堂に安置されていた本尊が、現在奈良県桜井市にある聖林寺の国宝・十一面観音菩薩立像

本殿の内陣には、一部奈良時代の部材がそのまま活用さえていることが、1987(昭和62)年の解体修理で判明しています。

貴重な建築が破壊を免れたのは、僥倖というほかないですね。

境内の池は、大御輪寺時代からあった、往時の光景を残す数少ない構造物。

池のほとりには、叡尊が1285年に大御輪寺を中興した際に建立された三重塔が立っていました。

残っていれば、間違いなく国の文化財指定を受けていたことでしょう。

 

思った以上にコンパクトな境内に、現在は本殿がひとつ建つのみで、少し寂しい印象です。

大神神社の表参道から少し外れるせいか、参拝される方はあまり多くない感じでしたが、本殿は歴史的にも貴重な建築で、創建から廃寺に至るストーリーも魅力的なスポットですので、もっと多くの方に参拝いただきたい神社です。

浄願寺

浄願寺の跡に向かう前、大神神社の拝殿でお参りします。

ご存知の方も多いかと思いますが、大神神社は拝殿の奥にそびえる三輪山全体がご神体。よって本殿はありません。

1664(寛文4)年に再建された拝殿が見事です。

 

拝殿から社の森を少し南の方へ進むと、朽ちた築地塀の向こうに赤い鳥居が見えてきました。

末社成願稲荷神社です。

こちらの神社は鎌倉時代の1290(正応3)年に創建。当時は尼寺で大神神社の神宮寺であった浄願寺の鎮守社として建立されました。

浄願寺の「遺構」として残るのはこの神社のみで、その他の建物は破却されました。

成願稲荷神社付近の朽ちた築地塀は、浄願寺の境内跡かと思います。

 

平等寺

成願稲荷前の道を、南にまっすぐ進むと平等寺に着きます。

平等寺聖徳太子の開基との伝承が伝わりますが、史料上確かなのは、鎌倉時代の1236(嘉禎2)年に三輪神道を創始した慶円によって真言灌頂の道場、「三輪別所」がこの地に建立されたというものです。

鎌倉時代末期から明治までは、三輪明神別当時の地位にあった寺院でしたが、明治の廃仏毀釈でいったん廃寺となり、堂塔は破却され、僧侶は還俗を余儀なくされました。

しかし、廃寺直後に小西家から現境内の寄進を受け、廃寺前の最後の住職であった覚信和尚と町内有志の人々により塔頭の一部が境内に移されて、本尊十一面観音菩薩など、寺宝の一部は守られました。そして、同じ桜井市内の慶田寺住職、梁天和尚が翠松庵の次号を移して曹洞宗に改宗し、かろうじて法灯が守られたのです。

その後1977(昭和52)年、曹洞宗三輪山平等寺として再興。

いったん廃寺となった平等寺は、100年あまりの時を経て復活を遂げました。

 

山門から入山します。境内入山は無料。拝観時間は9:00~17:00です。

こちらの山門は旧平等寺の遺構で、廃寺前の姿を残す唯一の建築になります。

 

山門をくぐってすぐの場所に聖徳太子像が立ちます。

境内に復興されたお堂や塔が立ち並びます。

本堂に立つ「島津義弘公ゆかりの寺」の幟。

関ヶ原の戦いで、世に名高い敵中正面突破による退却戦で戦場を離脱した薩摩の名将、島津義弘以下主従13名が、本国への逃亡中70日間平等寺に匿われ、薩摩までの船代や旅費を借り受けて無事に薩摩へ帰還することができた故事にちなみます。

島津家はこのときの恩に報い、護摩堂を建立し、江戸時代を通じて毎年米40国、銀5枚を寄進し続けました。

 

こちらは波切堂

入唐のとき船上嵐にあった弘法大師を救った波切不動を祀るお堂です。

 

こちらは不動堂

弘法大師自作と寺伝に伝わる不動明王像と、役行者像、理源大師像が祀られています。

もとは真言密教系寺院だったこともあり、弘法大師による開基の伝承もある寺院です。

 

2004(平成16)年再建された二重塔釈迦堂

バングラデシュの寺院から贈られた仏舎利が祀られているとのこと。

 

1987(昭和62)年再建の本堂

本尊の十一面観音菩薩像などが祀られています。

内部の拝観には事前の予約が必要ですので、詳細は平等寺のHPをご参照ください。

byodoji.org

再建後、托鉢など住職の地道な勧進活動でここまで伽藍を復興されたのは、大変なことだと思いました。

大神神社にお参りの際は、ぜひこちらにも足を運んでいただければと思います。

 

さて、大神神社の3つの神宮寺の現在についてご紹介しました。

神社と化した大御輪寺。

完全に廃寺となって鎮守社だけが残る浄願寺。

そして廃寺から曹洞宗寺院として再興された平等寺と、三者三様のその後を歩んだ、3つのお寺が集まる大神神社は、廃仏毀釈の痕跡を辿るスポットとしても、見所が多い場所ですね。

 

<近隣のオススメお宿>

大神神社からすぐの場所にあり、三輪周辺の散策に大変便利です。

 

・レンタルサイクルもある道の駅に併設したホテルで、大神神社を含めた山の辺の道周辺の観光拠点として大変便利です。