大和徒然草子

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奈良県の怪異・妖怪の伝承(10)「きつね」と「たぬき」

皆さんこんにちは。

 

昔話の定番の一つに、狐や狸が人を化かすというフォーマットがありますね。

奈良県内の伝承にも、狐や狸にまつわる怪異譚がたくさん伝わっていますので、その一部をご紹介します。

 

狐の怪異・伝承

古女郎大明神

奈良市大安寺町

JR奈良駅から150mほど南に行った場所に、昭和の初め頃まで「あいがいし」という竹藪がありました。

その藪の中に橋があって、そこに狐が住んでいました。

ある日、一人の武士がその橋を渡っていると、ひょっこりと一人のお坊さんが武士の前に現れて武士に突き当たりました。

怒った武士が「無礼者!手討ちにするぞ!」と凄むと、お坊さんは「何をぬかす。坊主にするぞ」と言うや、忽然と姿を消しました。

武士が訝しんでいると、今度は4人のお坊さんが現れ、武士の頭の毛をすべて剃ってしまったといい、これは橋の下に住んでいた狐のいたずらだと伝わります。

昭和の初めに旧国道24号線(現県道754号線)が造られるにあたって、竹藪が取り壊されると、事故が起こって負傷者が出たことから、狐の祟りを恐れた人々は古女郎大明神を祀ったといます。

 

出典の『大和の伝説』の記載内容から、大森町交差点付近のお話のようですが、「古女郎大明神」が現在どちらの神社かまでは、特定できませんでした。

ただ、関西電力奈良支社の南隣にお稲荷さんがあり、付近に狐を祀る神社はここしかないので、こちらのお社なのかもしれません。

場所は江戸時代まで奈良町の南郊にあたり、人の住む場所のすぐそばに狐が住む環境があったことが分かる伝承です。

おきよ橋

奈良市北之庄町

県道754号線で、奈良市北之庄町と大和郡山市上三橋町との間に架かる橋に、昔おきよという狐がいて、よく人を化かして地蔵院川へ落としたと伝わります。

出典の『大和の伝説』に従うと、下の場所になりますが、江戸時代頃このあたりに橋が架かっていたのかは不明です。

川の両端に古くからの集落に繋がる道もなく、筆者には近代の国道建設時に新たに作られた感じがします。

 

上の場所から少し西へ地蔵院川を下ると、上三橋の古くからの集落に繋がる橋があります。

上三橋側に町の出入口を守るお地蔵さんも祀られていることから、こちらの橋は古そうで、もしかするとこの伝承の場所はこちらの橋かもしれないと考えています。

 

夜道は現在より暗く、誤って橋から転落する人は今よりずっと多かったでしょうから、このような伝承が生まれたんじゃないでしょうか。

安村坂の狐

三郷町立野南

JR三郷駅から神奈備神社の前を通り、西浦から馬場の龍田大社へ登っていく坂を安村坂といいます。

かつてこの坂は大きな竹藪の中にあり、一匹の老狐が住んでいました。

この老狐はしばしばうら若い美女に化けて出ました。

ある春の夜、馬場へ夜遊びに来た若者があり、この坂に差し掛かったところ美女が一人立っています。

その美女が若者を誘うと、若者はそれに応じましたが、夜が明けると、若者は石に抱きついていたといいます。

 

きつねの井戸

香芝市狐井

現在の香芝市狐井は、かつては水不足に苦しんだ地域でした。

村の鎮守の杵築神社には狐の親子が住んでおり、村人は狐を「もしかしたら神の使いかもしれない」と思って、子狐に大切な水を分けてあげたり、油揚げを与えたりしていました。

ある年ひどい旱魃となりましたが、ある日、神社の片隅からこんこんと水が湧き出ているのを村人が気付きます。

井戸のそばには神社に住む狐の親子がいて、母狐の前足は泥で汚れていました。

 

この狐が掘り当てた井戸はその後枯れることなく、この井戸に因んで村の名も狐井と呼ばれるようになったと言います。

 

今も杵築神社の片隅には、「きつねの井戸」と呼ばれる古井戸が残されています。

 

狸の怪異・伝承

たか坊主

大和郡山市/橿原市

昔、郡山の町には五左衛門坊という狸が巨大な化け物・高坊主に化けては人を驚かせていました。

速水春暁斎・画『絵本小夜時雨』巻二「御幸町の怪異」の高入道(Wikipediaより引用)

ある夜、一人の武士が歩いていると、高さ2mほどで目も口もなく卵のような化け物・高坊主が現れました。

突然化け物が現れたにもかかわらず、武士はかなり肝の据わった男でちっとも怖がりません。

高坊主は苛立って、「これでもか!」とますます巨大化しましたが、武士は平然としています。

高坊主はなお、これでもか!とさらに巨大化しましたが、武士は全く驚かず、そのうち五左衛門坊は腹が破裂して死んでしまったと言います。

 

高坊主については、同じ大和郡山市朝日町(近鉄郡山駅の西)にもカドエという狸が高坊主になって人を驚かしたと伝わります。

また、橿原市でも夕暮れの川沿いに真っ黒な高坊主が二体現れ、その正体は狸が化けたものと伝わる他、八木の愛宕神社のお祭りに行っていった子どもが、真っ白い着物に角帯を締めトウモロコシのような髭を生やした足のない高坊主が藪から出てくるのを目撃して、逃げ帰ってきたという伝承もあります。

 

光慶寺の狸

大和郡山市今井町

昔、光慶寺には夫婦の狸が住んでいました。

夜、光景寺の東側の道を通ると、どこからともなく「ちんちんこんこん、ちんこんこん」とダンジリのお囃子が聞こえてきたといいます。

また、西の道を通ると袋真綿が落ちていて、それを拾おうとするとスルスルと逃げていくということがありました。

これらは、みな光慶寺の狸の仕業と伝えられています。

 

高坊主や光慶寺の伝承はみな郡山の城下町や橿原の八木町の話というところから、江戸時代は町の中にも狸が住んでいて、身近な存在であったことがうかがえますね。

かつて郡山の外堀沿いには土塁が築かれていました。

土塁は藪になっていたので、水辺ということもあり、狸たちの格好の住処であったと考えられます。

光慶寺は外堀東側に近く、前述のカドエという狸が出没した朝日町も外堀のすぐそばで、夜や夕暮れの外堀土塁の藪はさぞかし不気味で、何か得体のしれない現象に出くわした時、付近に生息していた狸の仕業と人々が連想したのでしょう。

 

北林の狸

橿原市曽我町

昔、曽我に北林という富豪の家があり、この家には長らく狸が住んでいました。

ある晩、この家では小豆飯を炊いて食べた後、残りを鍋に入れて家の人は眠りました。

夜中に主人が目を覚ますと、狸が鍋のふたを開けたくさんの子どもに小豆飯を食べさせているのを見つけました。

狸の食べ物が少なくなっているのだと不憫に思ったのか、主人は良い食べ物を毎晩用意して出すようになると、翌朝には食べ物はきれいになくなっていました。

そんな北林の家に、ある夜、強盗が押し込みます。

強盗は家の者を叩き起こして、「金を出さないと殺す」と脅したて家の人々は恐れおののくばかりでした。

そこに表の方から二人の大男が突然現れ、強盗に向かって「さっさと出ていけ!」と怒鳴りつけました。

不意を衝かれた強盗は慌てて立ち去り、ほっとした家の人は二人の大男に謝辞を述べながら頭を深くさげましたが、頭を上げるともうそこに二人の大男の姿はありませんでした。

不思議に思いながらその夜、家の人たちが再び眠りにつくと、一同の夢に狸が現れ、「いつもお世話になっていますので、御恩返しをさせてもらいました」と、告げました。

それから北林の家では、狸を命の恩人として一層大切にするようになったと言います。

 

これらの話の他にも、夜戸をこんこんと叩いてきて、外に出ると誰もいないのを、狸やキツネの仕業とするものも、山間部を中心にたくさん伝わっています。

 

総じて他愛のない悪戯をすることが多いですが、人の命を奪う伝承など、狐の方が少しだけ狸より恐れられていたのかなという印象です。

狐は神の使いになるとも考えられていたので、狸に比べてより畏れを感じられる動物だったのかもしれません。

 

今では奈良県でも町の中で狐や狸を見かけることは珍しくなりましたが、昔は町の中や周辺に藪も多く、いまよりずっと狐や狸が人間に身近な存在だったことを、これらの伝承は伝えてくれていますね。

 

参考文献

『大和の伝説 増補版』 高田十郎 等編

怪異・妖怪伝承データベース(国際日本文化研究センター)