皆さんこんにちは。
奈良県下の城跡の多くは現在民有地になっていることが多く、遺構が残っていても、無断で立ち入れない場合が少なくありません。
奈良県上牧町の片岡城跡も城跡のほとんどが民有地だったため、長らく表面観察できる場所が非常に限られた城郭でした。
しかし近年、主郭が城跡として整備され、自由に立ち入りできるようになりました。
今まで主郭周辺に立ち入ることができなかったことから、登城を見送っていた城跡だったのですが、これは足を運ばねばと先日登城しましたので、城跡周辺をご紹介します。
片岡城とは
片岡城の場所はこちら。
JR和歌山線の畠田駅から東へ徒歩15分ほどの場所にあります。
葛下川と滝川に挟まれた丘陵上に築かれた中世城郭で、16世紀初頭に代々現在の香芝市、王寺町、上牧町にまたがる一帯を支配していた片岡氏の当主、片岡国春が築城したとされます。
国春の子、春利は北和の有力国人であった筒井氏から妻を迎え、1559(永禄2)年に始まる松永久秀の大和侵攻に際しては筒井順慶に与しました。
片岡城は久秀の拠点城郭・信貴山城に対する最前線にあたり、春利は久秀に頑強に抵抗をつづけましたが、1568(永禄11)年に織田信長上洛に伴い、信長に与した久秀が大和でその攻勢を強めると、ついに1569(永禄12)年に片岡城は落城(『多聞院日記』)。
城を失い没落した春利は失意のうちに翌年世を去り、達磨寺(現奈良県王寺町)に葬られました。
以後、片岡城は松永方の拠点となり、信貴山城の支城としての機能を担うことになります。
片岡城が、日本史上もっともクローズアップされるのは、1577(天正5)年、松永久秀が上杉謙信、毛利輝元、石山本願寺に呼応して信貴山城に立て籠もり、信長に反旗を翻した時でしょう。
信貴山城の戦いに先立つこと4日前の10月1日、久秀討伐の命を受けて法隆寺に布陣した明智光秀、筒井順慶、細川藤孝は、信貴山城攻略において討伐軍の背後を脅かす片岡城を攻め落とすべく、5千の兵で攻撃を開始しました。
片岡城には久秀の家臣である海老名友清、森正友が1千の兵で守備にあたっていましたが、激戦の末、海老名、森を含む70余人が討ち死にして片岡城は落城しました。
この片岡城の戦いで武名を轟かせたのが、この時15歳の少年だった後の肥後細川家初代・細川忠興です。
弟、興元とともに、この戦いで忠興は信長から自筆の感状を送られ、その武功を賞されました。
この時、信長から発給された感状は細川家に伝えられ、現在確認されている唯一の信長自筆書状として、国の重要文化財に指定されています。
片岡城の落城から9日後の10月10日、主城である信貴山城も落城。
松永久秀は自害して、奇しくも久秀がかつて片岡城から駆逐した片岡春利と同じ達磨寺に葬られることになります。
※片岡春利と松永久秀の墓がある達磨寺については下記記事で詳しくご紹介しています。
さて、下記は現在の片岡城跡周辺の航空写真に推定の城域を書き込んだもの。
もとは主郭と南郭周辺のみの小規模な城砦だったものが徐々に拡張され、松永久秀の支配に入ってから東の廓とその間を遮断する大堀切など、大規模な増改築が行われ、現在の姿になったと推定されます。
主郭に設置された案内板に、在りし日の片岡城を再現したCG図が掲示されていました。
『信長公記』に「天守」状の高櫓があったとの記述があち、実際に軒瓦が出土していることから、CGでは「天守」?と思しき二層の建物が描かれています。
久秀は信貴山城、多聞山城にも高層の高櫓を設けていたとされるので、片岡城にも同様の櫓を築いていた可能性はあるでしょう。
お城の案内は上牧町のHPでも詳しく紹介されていました。
今は町を挙げて城跡を積極的にアピールしているので、今後の城跡整備に期待したいです。
下牧集落~大堀切
それでは片岡城に登城したいと思います。
城跡への入り口は東西二か所で、筆者は東側、下牧集落から片岡城を目指します。
奈良交通の下牧南口バス停から北に徒歩5分ほど細い旧道を歩くと、タクシー会社の営業所前に「片岡城跡」の看板が見えてきます。
こちらの交差点を西に入って進みます。
集落内を通る狭隘な道路を進み、丘陵の頂上を目指します。
この道路は、古くから丘陵を隔てて東側の下牧地区と西側の金富地区を結んだ峠道で、片岡城はこの古道を取り込む形で築城されました。
城跡の手前(東側)にあるほほ笑みサロン片岡。
片岡城跡を東西に貫く古道は、上牧町が町内散策のコースとして策定した「笹ゆり回廊」に含まれ、こちらは回廊をウォーキングする方のために設けられた休憩所です。
屋外のトイレ・休憩スペースはどなたでも利用可能ですので、城跡散策時の休憩にはぴったりの場所です。
■利用時間
夏期(5月~10月)8:00~20:00
冬期(11月~4月)8:00~18:00
城跡の入り口に到着。片岡城跡と上牧町の文化財分布図の案内板が設置されています。
ちなみに案内板の背後に盛り上がっているところは郭跡。
片岡城跡の案内板。
縄張り図や片岡城の歴史について掲示されているほか、こちらの看板にはCGで再現された往事の片岡城の姿をAR(拡張現実)で、見ることができるQRコードが掲示されています。
手順は簡単で以下の通り。
2)QRコードの読み取り結果をタップしてブラウザを起動する
2)ブラウザ上で起動されたカメラから看板の縄張り図を読み取る
こちらの看板からのARでは、主郭に建つ櫓などの光景を、手持ちのスマホを通してCGで見ることができます。
ちなみにQRコードと縄張り図の写真を撮影しておくと、家に帰ってからでも見ることができるので、ぜひ現地でゲットしてみてください。
城跡案内掲示板のすぐ脇から、片岡城跡最大の見どころでもある大空堀が見えます。
V字状の谷間の奥から手前にまっすぐ延びる畑が空堀跡。
左手(西側)が主郭で右手(東側)は主郭から大空堀で遮断された郭になります。
畑になっている部分は堀が埋められた跡とのことで、実際に見るとかなり巨大です。
東側の郭と主郭を遮断するために設けられた堀で、松永久秀が支配していた時代に造られたものと見られます。
ただし、こちらの大空堀については、発掘調査で堀跡が確認されたわけではどうもなさそうなので、可能であれば発掘調査を行ってほしいところです。
主郭
それでは近年ようやく整備され、自由に見学できるようになった主郭に入っていきましょう。
案内板の脇に立てられた見学コースの掲示に従って進みます。
基本的に城跡周辺はすべて民有地ですので、地権者に無断で立ち入ることはできません。
今後とも城跡見学が続けられるよう、絶対に許可されたルート以外の場所への立ち入りはしないようにしましょう。
古道沿いに西へ進みます。
ちなみに写真の左側(南側)は南郭の一部。
案内板で指示された、主郭へ西側から回り込む細い農道のルートを進みます。
本来の主郭の入り口については、主郭東側に枡形状に窪んだ地形があり、ここを大手とする説もありますが判然としません。
枡形は城跡の出入り口としては戦国後期に出現する形式ですので、松永氏の支配に入った後、新たに整備されたのかもしれないですね。
登城ルートの小道を上ります。
ちなみに片岡城の切岸(山の斜面を削った人工の急崖)はそれほど高くありません。
信貴山城の巨大な切岸に比べると防御の不十分さを感じますが、1577年8月に久秀が信長に反旗を翻してから、2か月足らずで片岡城は落城しており、十分な改修が間に合わなかったのかもしれないですね。
主郭の平坦部に到着しました。
東西46m、南北66mの広さがあり、先述の通り軒瓦が出土していることから、瓦葺の建造物が建っていたことが分かっています。
ちなみに、こちらにもARのスポットがありますので、来城の際にはぜひチェックしてください。
北西の方角に、信貴山城の本丸があった雄嶽山頂が見えます。
大和を瞬く間に席巻した松永久秀と対峙した片岡春利や、織田の大軍に包囲された海老名友清、森正友たちが、どんな思いで信貴山雄嶽山頂にそびえる4層の高櫓(一説には天守)を見上げたのか、しばし感慨に浸れる光景です。
城跡で最も眺望のよい場所になります。
南郭
主郭から再び大空堀前の案内板に戻り、そこから伊邪那岐神社の参道を南に進みます。
写真右側の畑が南郭で、その東側外縁部を沿うように参道が続きます。
南郭に二つある堀切の一つ。
城跡整備前から表面観察できる、貴重な遺構の一つでした。
こちらがもう一つの堀切。
南郭の二つの堀切は、案内板が設置されてないので、うっかり見落としそうです。
可能であれば小さなものでもよいので、近くにそれとわかるよう案内板等を設置してもらえると、城跡に馴染みの無い方でも余すことなく片岡城の見所を見学できると思います。
まあ、一見ただの雑木林にしか見えない場所に、かつての城跡の痕跡を見出だすのも、城跡散策の醍醐味ではあるのですが…。
城跡西側
葛下川方面(西側)へ下りていきます。
道の北側は段々畑になっています。
後世の改変はあるかと思いますが、概ねかつての郭跡を利用しているようです。
西側斜面はなかなかの急坂になっています。
この道をまっすぐ西へ向かうと、JR和歌山線の畠田駅方面へ抜けられます。
葛下川東岸から見上げた主郭付近。
「片岡城」と書かれた幟が立っています。
ちょっと小さいのと周りの木が邪魔で、よく見えないですね。
傾斜が緩やかな主郭の東側に比べ、西側は比較的急崖です。
主郭東側の大空堀や、郭の拡張は防御が弱かった主郭東側の防衛強化策だったことがうかがえる光景でした。
思った以上に見学しやすいよう整備がされていて、ARを使った展示など、上牧町の本気度も感じる城跡です。
特にARを使った展示は、城跡周辺の現況を破壊することなく、往時の姿をわかりやすく確認できる点で、非常に可能性を感じました。
費用的にも、大規模な工事で構造物を再現するより安上がりですし、何より貴重な遺構を絶対に破壊することがない点でも、大きな魅力を感じます。
片岡城のARについては、考古学上の新たな発見などのタイミングで更新をかけて、コンテンツをさらに使いやすく、魅力のあるものにアップグレードさせていくことを継続していってほしいです。
更新されないデジタルコンテンツはやがて使われなくなってしまいますからね。
ARでの城跡案内は、限られた地方自治体の予算で実施するには、大変良い取り組みだと思いますので、ぜひ本後も継続・発展していってほしいです。
また、片岡城と因縁が深い信貴山城も近いので、遠方からお越しの城跡好きには、ぜひ両城とも巡っていただきたいです。
※信貴山城についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
アクセス
■鉄道
・JR畠田駅から徒歩15分
■バス
・奈良交通 下牧南口バス停(五位堂駅から13系統、王寺駅から3、16系統)から徒歩10分
■駐車場:なし
参考文献
リンク
奈良県内のその他の城跡スポットはこちらをご覧ください。