歴史好きの大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

首都空爆から1ヶ月余りで白旗をあげた国から思うこと。ローマは戦火をどう免れたか。

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皆さんこんにちは。

 

この記事の公開日は、8月16日で終戦記念日の翌日になります。

さて、先の大戦で日本の主要な同盟国といえばドイツとイタリア。

いわゆる三国同盟ですね。

日本やドイツは、全国の都市を焼き払われても1945年まで戦争を継続し、多くの歴史的景観や建造物が破壊されました。

私の好きな城郭だけを抜き出しても名古屋城岡山城和歌山城広島城などの天守や構造物が焼失し、日本の多くの都市景観が灰燼に帰しました。

一方で、イタリアのローマやフィレンツェといった伝統都市には古代、中世の美しい街並みがほぼ無傷で現在まで残されています。

この差は一体どういうわけなんでしょうか。

 

実はイタリアでも連合国による都市への空爆が行われています。

イタリアが連合国の空襲にさらされるようになったのは1942年10月22日、北部の工業都市であるトリノジェノバが最初の標的となりました。

その後、ミラノなど他の工業都市も標的となり、各地が爆撃にさらされることになります。

1943年7月19日、東京に初めて空襲を仕掛けた航空隊として知られるアメリカのドーリットル航空隊が、ついにローマを攻撃します。

ローマは世界的に貴重な文化財や建築物を擁すうえに聖地バチカンがある都市であり、この爆撃は欧米世界に衝撃を与えました。

連合国内からもアメリカへ批判が巻き起こったほどです。

 

しかし、このローマ空襲に最大の衝撃を受けたのは他ならぬイタリアでした。

いくらなんでもローマは爆撃すまい。人類の財産というべき文化財や建築、なによりカトリックの総本山バチカンがあるのだから。

そういう思いもあったでしょうが、戦争勝利のためにはタブーを持たない新教国のアメリカには、文化財バチカンも攻撃を躊躇する材料にならなかったわけです。

ローマ空襲以前から北アフリカ戦線でのイタリアの敗北が決定的になり、イタリアの厭戦ムードは高まっていましたが、このローマ空襲が決定打となりました。

アンブロージョ参謀総長が国王に決断を迫り、7月25日に戦争継続に意欲的だったムッソリーニは首相を解任されて逮捕されます。

そしてムッソリーニの後任となったバドリオ政権のもと、9月8日に連合国へ降伏。

首都爆撃から1ヶ月余りのことでした。

これ以上、永遠の都ローマを焼かれることは堪えられない。

そんなイタリアの思いが見える降伏でした。

結局降伏後も連合国側として今度はドイツや日本と戦争を継続することになったものの、連合国による空爆が激しくなる前に休戦にこぎつけたことで、イタリアの多くの伝統都市の景観が戦後も残されることになったのです。

 

このようなイタリアを当時の日本政府は罵倒しました。

ちょっと首都を爆撃されたくらいであっさり降伏とはなんと惰弱な。意気地なしの裏切り者め、といった具合です。それに対して日本は勇ましく戦い続けるとも、ラジオ新聞を通してうったえました。

日本政府には都市や文化財を「少々」焼かれたくらいで降伏するというイタリアが全く理解不能だったに違いありません。

例えば日本がアメリカから京都を古社寺もろもと壊滅するぞ、と脅されたとして果たして降伏するかといえば絶対にしなかったでしょう。

 

事実日本は首都東京を焼け野原にされ、御所を焼かれても戦争は止めませんでした。

原爆を落とされてもまだ止めません。

おそらく日本を、降伏に追い込んだ最大の要因は、原爆ではなく講和の窓口と頼っていたソ連の参戦でしょう。

ソ連の参戦がなければ、京都に原爆を落とされてもなお戦争を継続していたんじゃないか。

そんな思いすらします。

伝統都市をいくら焼かれようとも、それが日本にとっては戦争をやめる理由にならないのです。

そういう意味では日本、ドイツの民間人を狙った連合国の無差別爆撃は、原爆を含めて相手の戦意を挫くという点については的はずれな攻撃だったといえるでしょう。(この点で、私はアメリカが主張する、終戦に原爆投下が必要だったという主張に全く同意しません。)

イタリアとはいたく対照的な姿ですね。

 

ローマに威嚇的な爆撃を受けただけであっさり降伏したイタリアに対しては、現在でも惰弱で堪え性のない国民性と、揶揄的になじる人も少なからずいます。

しかし貴重な文化財をふくめた愛すべき郷土を灰にして、何よりかけがえのない人命をあたら失い続けた日本やドイツが、先人からの遺産と人命を守ろうとしたイタリアに対して、それほど立派な選択をしたと言えるのかと疑問に思います。

 

アメリカのローマ空襲の意味を、当時のイタリアは正しく理解したといえるでしょう。

俺たちは勝つためならお前らの文化なんぞに遠慮はしない。なんなら全部焼き尽くしてやるぞ。

そんなアメリカの、近代戦争の合理性やリアリズムに潜む狂気に戦慄したのだと思います。

こんなやつらと戦争を続けたら、我々の文化は根こそぎ焼かれかねない。なら残っているうちにさっさと降伏してしまおう。ということだったんじゃないでしょうか。

 

日本もドイツも残念ながら瀬戸際までそこに気付けなかったのだと思います。

攻撃はエスカレートして、結局全土が焦土と化し、ドイツは一旦国家が消滅して分割占領され、日本も原爆を二つも落とされた末に破局的な敗戦に至るわけです。

 

つまるところ、過去から引き継いできた文化というものへの向き合い方が、当時のイタリアと日本、ドイツでは決定的に違っていたのかなとも思います。 

日本もドイツも、古くからの伝統文化を一見尊重しているかのようで、近代以降に養われ、作られてきた個々人の精神性に重きをおき、モノとして残された遺産、都市景観や文化財が国民性を形作る大事な核のひとつだとは見なしていなかったんじゃないでしょうか。

イタリアはそこを攻撃されたことに堪えられなかった。

伝統ある都市や文化財を焼かれるのは国を国ならしめるものを焼かれるのと同じであると考えたのでしょう。また、恥をうけても守るべき価値のあるものとも考えたのだと思います。

 

その点ではイタリアよりも日本やドイツは近代的と言えるかもしれません。

かたや伝統文化に対する成熟度や尊重する姿勢においてはイタリアに及びませんでした。イタリアほどには、都市や文化財を焼かれることに国家や「民族」としてのダメージを感じてはいなかったといえるでしょう。

 

近年日本では世界遺産の影響もあるでしょうか、以前に比べて町並み保存地区など、景観も含めて古い建物が大事に保存されるケースも増えてきていると思います。

そういった過去の文化の尊重が、国家の大事を決定する物差しになることがあるのだと、首都空襲から1ヶ月余りで降伏した国、イタリアが示してくれているのです。

 

<参考文献>

スクラップ&ビルドで絶え間なく「変化」する日本の都市景観に潜む「近代性」を明らかにしてくれる一冊です。

古い建築が残されることなく破壊されてはあたらしく作り替えられていく、そんな日本で伝統建築が残っていくのはとても貴重なことだとつくづく再認識させられました。


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