皆さんこんにちは。
先日、筒井氏累代の居城で、筒井順慶と松永久秀の壮絶な戦いの舞台となった筒井城を訪れました。
筒井城は近鉄筒井駅の東側。まさに筒井の町がほぼすっぽり、そのまま城郭跡となっています。
縄張り図はこちらになります。
外郭は南北400m、東西500mほどあり、中世の城郭としては最大級の城です。
外堀内部に吉野街道が南北に縦貫し、街道沿いに市場もあったと推定されています。
また、家臣団や筒井氏の居館もありました。
ただ、城郭としては平城で、規模は大きいものの、それほど防御力は高そうには見えませんね。
実際筒井城では何度も攻城戦が行われていますが、ほとんど攻め手の攻撃にあって落城しています。
城、というよりは巨大環濠都市といったほうが正直しっくりくる感じもします。
現在は城域のほとんどが住宅地になっていて、一見とても城跡とは思えない場所となっています。
こちらは城内を南北に貫く下街道(しもかいどう)です。
下街道は古代の官道由来の街道ではなく、中世以降成立した街道で、大和郡山の柳町大門を起点とし、高田や御所、五條へとつながり、北和から紀州への最短ルートでした。
筒井城の南側にには「北の横大路」と呼ばれる古代の官道由来の幹線道(現在は国道25号線)が通っており、筒井はちょうど二つの幹線道が交差する交通の要衝でした。
そのため、人が集まり、城も築かれたといえるでしょう。
写真中央にカーブミラーがありますが、この右手に入る細い路地が虎口になります。
大変細い道で縄張り図にあったようにクランク上のいわゆる「食い違い虎口」になっています。
こちらの吉野街道の本道も現在緩やかなクランクとなっていて、この地が城跡であるかすかな痕跡となっています。
吉野街道から虎口を抜けると主郭に入ります。
街道から入ってくる道なので、たぶんここが大手だったのかなと思います。
往時はここに城門がそびえ、堀で囲まれた内郭に筒井氏の居館があったのでしょう。
主郭部は大部分が現在畑になっています。
こちらは主郭の「筒井城跡」の看板です。
縄張り図の中央で「現在地」と書かれた場所になります。
このあたりが主郭の中央になりますから、順慶をはじめとした歴代当主たちの暮らした館があったのでしょう。
筒井城の築城年代は不明ですが、文献上の初見は1429(永享元)年、順慶の7代前の当主順覚のときです。
もともと館であったのが拡大して城郭となっていったようですね。
順慶の代まで筒井氏の居城でしたが1580(天正8)年、信長の命で破却され廃城。
順慶は郡山城に移り、大和支配の中心地は郡山に移ることになります。
看板のそばにあった案内板。
地域のおまつりの名に順慶が冠されています。
ポスター右下に書かれた順慶のキャッチフレーズは以下のとおり。
「領民第一の徳将」
「情勢判断の天才」
やはりスポットは本能寺の変後の選択に当たってしまうんですねえ。
菅田比賣神社と専念寺の間に残る内堀跡です。
城跡の貴重な遺構になります。
筒井第二荘園からの内堀。
こちらのほうがよく堀が見えると家に帰ってから気づきました・・。
帰りに筒井駅前の「かき氷亭 一歩」さんに立ち寄りました。
ここ数年、奈良はかき氷のメッカになってますね。
こちらのお店は夏季限定とのことですが、今年(2019年)は10月27日まで営業されるとのこと。
今回は台湾マンゴかき氷に練乳をつけていただきました。
ふわふわでとってもおいしかったです。
台湾かき氷はくちどけがちょっと独特ですねー。
黒蜜きな粉白玉もおすすめということで、今シーズンもう一回お邪魔しようかなと思いました!
まだまだ残暑厳しい中、かき氷で体がいい感じに冷えてくれました。
筒井城跡は観光地化されているわけではなく、完全に住宅街の中に埋もれてしまった感がありますが、狭い路地や水路のような堀跡、土塁と思しき微高地など、破却後もかすかに残された痕跡を探しながら歩くと、なかなか楽しい場所でした。
近鉄筒井駅からすぐの場所と交通の便も良いので、一度訪ねてみるのもよいのではないでしょうか。