大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

思ってたんと違う(16)~1964年阪神対南海の関西ダービーは閑古鳥が鳴いていた!?

2023(令和5)年のプロ野球は、セリーグ阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たし、パリーグオリックスバファローズが3連覇。

ともにクライマックスシリーズを制し、日本シリーズはセパの関西勢同士が相まみえる2回目の関西ダービーとなりました。

前回、日本シリーズ関西ダービーとなったのは1964(昭和39)年。

阪神タイガース南海ホークスのマッチアップで、親会社のターミナル駅が梅田、難波だったことから、両駅を南北に結ぶ大阪のメインストリートに因んで「御堂筋シリーズ」とも呼ばれました。

史上初の関西勢同士の対決であり、さぞや盛り上がったのかと思いきや、実に意外なことに観客動員の面で史上最低の日本シリーズだったのです。

 

 

日本シリーズ観客数ワーストを記録した甲子園

1964年の日本シリーズは、第1~2戦、第6~7戦が阪神の本拠地・甲子園、第3~5戦を南海の本拠地・大阪球場で開催されました。

両者譲らず最終戦まで決着がもつれる白熱したシリーズで、阪神が第5戦で3勝2敗と先に日本一への王手をかけましたが、南海が最後の2試合に連勝して逆転の日本一を決めるという劇的な幕切れで終わります。

 

下表はこの日本シリーズにおける、開催日と球場、観客数です。

全試合がナイターで行われました。

  開催日 曜日 球場 観客数
第1戦 10月1日 甲子園 19,904
第2戦 10月2日 甲子園 19,190
第3戦 10月4日 大阪 29,932
第4戦 10月5日 大阪 30,107
第5戦 10月6日 大阪 26,962
第6戦 10月9日 甲子園 25,471
第7戦 10月10日 甲子園 15,172

NPB公式記録から作成

甲子園の観客数が少ないことに、すぐにお気づきになるでしょう。

第1戦、第2戦は平日のナイターとはいえ、2万人に満たず、日本一のかかった第6戦は何とか2万5千人を超えたものの、当時の甲子園は収容数が5万人を超えていましたから球場の半分も埋まっていないのです。

終戦に至っては15,172人と、これは現在に至るまで日本シリーズの最低観客数として記録されています。

ワースト2位が新型コロナウィルス流行の渦中で行われた2021年のオリックス対ヤクルト第6戦(神戸)の15,239人ですから、平常時の日本シリーズの観客数としては際立った少なさと言えるでしょう。

実は、この日の観客動員数が振るわなかった原因は、戦後を代表する歴史的なイベントと同日開催になってしまったことが大きな原因でした。

1964年10月10日に行われたイベントといえば、東京オリンピック開会式です。

 

もともと、この年の日本シリーズは、第7戦が10月9日に予定されていました。

しかし、10月8日が雨天中止となって、最終戦までシリーズがもつれたこともあり、オリンピックの開会式と日程が被ってしまったのです。

戦後日本にとって歴史的イベントであった東京オリンピック開会式と同日では、日本シリーズへの関心がそがれるのも無理からぬ話でしょう。

こうして日本シリーズ史上最低観客動員という、いささか不名誉な記録が意外にも甲子園で記録されることになったのです。

 

閑古鳥の甲子園

しかし、南海の本拠地・大阪球場は、3試合ほぼ満員の盛況です。

当時の南海は50年代に鶴岡監督のもと、主砲・野村克也を中心に全盛期を迎え、阪神日本シリーズを争った1964年頃は、人気のピークを迎えていました。

観客動員も1959~61年にかけて阪神を上回り、南海は阪神と関西での人気を二分する存在だったのです。

また本拠地・大阪球場は、1951(昭和26)年に関西で最初にナイター設備が設置され、梅田に次ぐ巨大ターミナルである難波に立地することもあって集客能力も抜群でした。

 

やはり、この年の日本シリーズの観客動員を押し下げたのは、甲子園における阪神の集客能力が決定的に低かったことにあります。

現在はよほど成績が低迷しない限り、阪神は甲子園に連日4万人前後の観客を集める抜群の集客力を誇っています。

しかし、このような状況は2003(平成15)年に星野仙一監督が18年ぶりのリーグ優勝を果たして以降の現象で、それまでの阪神は、読売戦しか甲子園を満員にすることができない、集客面で極めて読売人気に依存する球団だったのです。

初の日本一に輝いた1985(昭和60)年ですら、優勝間際になるまで巨人戦以外は3塁側、レフトスタンドは空席が目立っていたこと記憶しているオールドファンも多いことでしょう。

特に1964年当時、その傾向はさらに顕著でした。

この年、阪神は大洋と優勝を争い、最終戦まで2位につけて9月30日甲子園での最終戦で逆転優勝という、球団史上でも指折りの劇的なシーズンを送りました。

この年9月の甲子園の観客動員は以下のとおりです。

9月1日(火)対読売 43000人

9月3日(木)対読売 37000人

9月4日(金)対読売 50000人

9月6日(日)対中日 第一試合12000人

          第二試合19000人

9月8日(火)対広島 6000人

9月10日(木)対広島 6000人

9月12日(土)対広島 12000人

9月26日(日)対大洋 第一試合25000人

               第二試合31000人

9月29日(火)対国鉄 16000人

9月30日(水)対中日 第一試合33000人

               第二試合35000人

現在なら間違いなく甲子園は連日超満員の大盛況でしょうが、ほぼ満員となったのは、9月4日金曜日の読売戦だけです。

9月8日~12日の広島戦などは惨憺たるもので、土曜日こそ1万人を越えましたが、平日の2試合はわずか6千人しか入っていません。2022年の調査で広島は200万人を超える球団別では3位のファンを抱える人気球団ですが、当時は球団創設以来1950年から連続でBクラスの不人気球団でした。

 

さらに、優勝争い最大の山場となった9月26日の日曜日に開催された大洋戦や、優勝決定戦となる9月30日の中日戦の動員数は、9月初頭の読売戦の3試合をどれも上回っていません。

この数字を見ても明らかなように、当時の阪神は読売目当ての観客なしには、甲子園を満員にするだけの集客能力がなかったのです。

実のところ阪神は創設以来、観客動員の読売戦依存が極めて高い球団でした。

1949(昭和24)年に毎日新聞プロ野球参入問題でセ・パの2リーグに分裂した時、阪神は毎日の参入を認めながら毎日のパ・リーグではなく読売のセ・リーグに参加しましたが、これも読売戦に観客動員を依存する阪神としては、当然の経営判断だったのです。

史上初の関西ダービーとなった1964年日本シリーズが、観客動員的に盛り上がりに欠けた大きな原因は、当時の甲子園における阪神の集客能力・人気の低さにあったと言えるでしょう。

 

ちなみに阪神が関西で圧倒的な人気を博すようになるのは、翌1965(昭和40)年から始まる読売のV9時代が契機となります。

王、長島を中心とする絶大な読売人気が全国的なものになり、地上波のプロ野球テレビ中継は読売戦にほぼ独占されていくと、関西唯一のセリーグ球団である阪神のメディア露出が、巨人戦のないパリーグの南海、阪急、近鉄を圧倒しました。

その結果、阪神は関西随一の人気球団となっていくのです。

 

今なら大事な阪神の試合が甲子園で開催されれば、たとえ同じ日に日本開催のオリンピック開会式があろうが、サッカーワールドカップ勝戦で日本代表が出場しようが、きっと甲子園は満員になるでしょうね。

 

阪神オリックス伝統の一戦!?

さて、プロ野球伝統の一戦といえば、1936(昭和11)年のプロ野球草創の年から続く阪神・読売戦を多くの方が思い浮かべるでしょう。

実は関西には、1936年から1988(昭和63)年まで、プロ野球が中止された1945(昭和20)年を除いて52年間続いたもう一つの伝統の一戦がありました。

オリックスの前身、阪急ブレーブス阪神との間で開催された阪神阪急定期戦です。

阪神阪急定期戦は下記記事でも詳しく紹介しています。

現在、関西大手私鉄の阪急と阪神はともに阪急阪神ホールディングス傘下のグループ企業ですが、長らく両社は大阪・神戸間で路線が競合するライバル会社でした。

1936年に日本職業野球連盟が発足すると、阪神、阪急はともにプロ野球チームを発足させて参加します。

この時リーグ戦とは別に、日ごろから旅客を激しく奪い合うライバル私鉄同士で「西の早慶戦」を目指して始めたのが阪神阪急定期戦でした。

当初は大変な人気で、1936年6月に甲子園で行われた大阪タイガース東京巨人軍のオープン戦が2407人しか動員できなかったのに対し、阪神阪急定期戦は連日5~6千人の観客を動員する大盛況でした。

1936年の第1回から1963年までNHK大阪放送局(JOBK)がスポンサーとなり、ラジオ中継したことも人気を後押ししたのでしょう。

阪神、阪急ともに親会社のライバル関係がそのまま球団同士の対決に投影され、実際に関西では読売戦を上回る人気を誇ったのです。

プロ野球草創期、関西で阪神のライバルと目された球団は、読売ではなく阪急でした。

 

その後、阪急が低迷期に入り、2リーグ分裂後はオープン戦扱いになったこともあって定期戦の格は徐々に落ちていくことになります。

それでも阪急ブレーブスオリックスに売却されるまで、プロ野球草創期から59回にわたって続いた定期戦は他になく、阪神対阪急戦は間違いなく伝統の一戦でした。

 

2023年の日本シリーズ阪神と阪急の系譜を継ぐオリックスの対戦となり、この2球団が日本シリーズで対決するのは初めてのことです。

阪神オリックス日本シリーズは、両チームの本拠地、甲子園と京セラドームが阪神なんば線で直通することから、「なんば線シリーズ」と呼ぶ向きもあります。

阪神と阪急の定期戦が絶えて35年。両チームが今後も優勝を繰り返し、「なんば線シリーズ」が新たな伝統の一戦となっていってくれることを、関西在住のプロ野球ファンとして願っています。

 

参考資料

1964年度日本シリーズ 試合結果 | NPB.jp 日本野球機構

2022 年スポーツマーケティング基礎調査