皆さんこんにちは。
先日、散歩で奈良県大和郡山市にある矢田寺を、超久しぶりに訪問したのでご紹介したいと思います。
このお寺のふもとにある小学校が母校ということもあり、小学生の時は学校行事や下校時に寄り道したりとなじみの深い場所だったのですが、中学進学以降すっかり足が遠のいてしまいました。
大人になって久しぶりに訪れると、とても趣ある古刹であったのだと改めて感じます。
場所はこちらになります。
近鉄郡山駅から奈良交通のバスで「矢田寺行き」で約20分、終点の「矢田寺」下車が最も近いバス停になります。
アジサイの季節以外は本数がかなり少ないので、アジサイシーズン以外は自家用車が便利かと思います。
矢田寺とは
矢田寺は通称で、正式なお名前は金剛山寺といいます。
679年に天武天皇の勅願により開基され、七堂伽欄48カ所坊が造営されたのが始まりといいますので、たいへん歴史ある古刹といえるでしょう。
当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女が本尊とされていましたが、平安時代の弘仁年間(810~824年)に満米上人により地蔵菩薩が安置されて以降、地蔵信仰の中心地となりました。
この満米上人が地蔵菩薩を安置した由来ですが、平安末から鎌倉時代に書かれた説話集「元亨釈書」に収められた説話と、それをもとに作られた「矢田地蔵縁起」によると、昼は朝廷の官吏、夜は冥府で閻魔大王の補佐を務めたといわれる小野篁にまつわる話になっていて、なかなか興味深いです。
曰はく。
閻魔大王が世の中に蔓延する苦しみに懊悩しており、それらの苦しみを除くため、菩薩戒を授ける適任者がいないか、補佐官であった篁に相談します。
篁は、大和国矢田寺の住職であった満慶を推薦しました。
地獄に招待された満慶は無事に受戒すると、閻魔大王から地獄めぐりを許されます。
そこで、満慶は亡者を救済し、亡者の代わりに地獄の責め苦を受ける地蔵菩薩に巡り合います。
地蔵菩薩から、「自分(お地蔵様)の姿を1度でも見、1度でも唱えて結縁したものは必ず救われる」と言われた満慶は、現世に戻ってから仏師に地獄で出会った地蔵菩薩の像を作らせますが、なかなか思うようにその姿を彫ることができません。
しかしある日、4人の翁が現れ、3日3晩のうちに地蔵菩薩を彫り上げ、その姿は満慶が地獄で見た地蔵菩薩のものでした。
翁たちは「仏法守護の神」である旨告げて、五色の雲に乗って春日山へ飛び去ります。
翁たちは春日四社明神の化身であり、彼らが作った地蔵菩薩立像が、現在本尊となているお地蔵様といわれています。
また、満慶は地獄から帰るとき、閻魔大王からコメの入った手箱を土産に渡されましたが、この手箱の米はいくら使おうとも減らず、手箱は常に満杯の米で満たされていたため、人々は満慶を満米上人と呼ぶようになりました。
これが、矢田地蔵縁起のあらましですが、小野篁に閻魔大王、はては春日明神まで登場する、なかなか壮大なお話ですね。
境内のご紹介
バス停から坂を上ると山門に到着です。
山門をくぐると、急坂がお出迎え。
5分ほど上がると、塔頭や本堂が見えてきます。
石段を上ると両脇に塔頭と正面に本堂が見えてきました。
塔頭は、大門坊、念仏院、北僧坊、南僧坊の4つがあり、この4つの僧坊を総称して矢田寺といいます。
ちなみに矢田寺は、アジサイの季節(6月~7月上旬)、入山するのに入山料(大人500円、小学生200円)が必要ですが、それ以外の季節は無料で境内に入ることができます。
伽藍見学や矢田丘陵のハイキングで立ち寄られるだけなら、アジサイの季節以外がおすすめです。
ハイキングの場合、境内は食事が禁止なので、その点だけご注意くださいね。
こちらは塔頭の一つ、大門坊です。
弘法大師が25歳の時、矢田山に登り、不動明王を図写して、国家安穏、万民豊楽の誓願をたて、「三大秘密教門院」と命名した寺院とのことです。
大門坊の西隣にある聖天堂です。
江戸時代の宝暦年間(1751~1764年)に勧請された歓喜天をお祀りしています。
こちらも塔頭寺院の念仏院です。
アジサイの季節にはお抹茶をいただけるそうですよ。
右手前に行動、正面に本堂と鐘楼を臨みます。
矢田寺は、たびたび戦災にあっており、当ブログでも記事にしております松永久秀に全山焼き討ちされており、実は室町以前の古い建物はほとんど残っていません。
こちらは境内にある春日神社です。
もともと矢田寺の鎮守社で、境内にそのまま社殿が残されており、神仏習合の面影を残す珍しい例といえるでしょう。
鎮守社が春日様なのは、先述のご本尊の由来のとおりです。
こちらの社殿は、矢田寺の中で唯一室町時代から残る貴重なもので、国の重要文化財に指定されています。
こちらは講堂です。
特に案内板もないのですが、立派な建物です。
こちらは本堂の北側の塔頭、北僧坊です。
矢田寺を開山した智通僧正の住坊だったと伝わります。
安土桃山時代に郡山城主となった秀吉の弟、豊臣秀長が、郡山城内から書院と茶室を移築して別宅としたとも伝わります。
江戸時代には、矢田寺塔頭二十数か坊を統率する別当寺院で、矢田寺創建以来、昭和の初めまでは矢田寺住職を兼務していたとのことです。
ここ矢田寺でも、廃仏毀釈で多くの塔頭寺院が失われたことが伺えますね。
本堂南側の南僧坊です。
こちらは秋限定で宿坊もされていて、お昼も予約すれば精進料理をいただけるようです。
アジサイの季節は4つの僧坊で食事やお抹茶をいただくことができるようですね。
四国霊場はなかなか回れないという方々のために、全国各地にミニ霊場はありますが、矢田寺のミニ霊場は、かなり大規模で、関西でも珍しいそうです。
本堂の左手に「矢田寺四国八十八カ所霊場へんろみち入口」という看板がありますので、そこから遍路道が始まります。
山をぐるっと一周すると、88番までの霊場を回ることができます。
昭和の初め頃、地元の檀家さんや大阪の信者の方々が遍路道を整備されたようですが、しばらく忘れられ、荒れていたのを、近年有志の方々が再び整備して歩くことができるようになりました。
各霊場ごとに石仏が立ち、その下には実際の霊場の土が埋められています。
距離や規模もハイキングにはもってこいなので、私も子どもがもう少し大きくなったら、必ず一度、一緒に歩いてみようと思ってます。
矢田寺のミニ遍路の様子は、下記の記事をご参照ください。
歩道の様子など、矢田寺の境内案内にも詳しいのでそちらもご参照ください。
アジサイ以外にも、新しい矢田寺の名所になってくれればと願っています!
※2022年復活したアジサイ園の記事もアップしましたので、こちらも是非ご参照ください。