皆さんこんにちは。
子どもの散歩がてら、久しぶりにご近所、奈良県大和郡山市の矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)にやってきました。
とても長い名前で、小学生の頃はスリランカの首都「スリジャヤワルダナプラコッテ」等とともに、面白がって名前をおぼえたもんだなあと思いだしつつ、ちょっと変わったものがある神社なので、今回ご紹介しようと思います。
場所はこちらで、近鉄郡山駅からは西へ4キロほどの場所です。
奈良交通「横山口」のバス停からは徒歩で5~10分ほどかかります。
神社の沿革
祭神は櫛玉饒速日命(くしたまのにぎはやひのみこと)です。
天津神で天孫降臨に先立って降臨した神で、物部氏などの祖神としても知られています。
饒速日命は天磐船に乗って空を飛び、自らの宮地を決めるべく三本の矢を放ったといいます。この矢が落ちたのが当社が鎮座する「矢田」の地で、この故事が地名(大和郡山市矢田町)の由来となっています。
また、この故事から当社は「矢落神社」とも呼ばれます。
こちらが神社の正面の鳥居です。
正確な創建年は不明ですが、927(延長5)年にまとめられた延喜式神名帳では大和国添下郡十座の筆頭社として記されている古社です。
神社に掲載されていた由緒書によると、創建以来6世紀ごろまでは「畿内随一の名社」として栄えましたが、物部氏の没落によって社運が衰退したとあります。
境内の様子
それでは境内に入ってみましょう。
鳥居をくぐると神門が見えてきます。
この時点で、すでに珍しい「あるもの」が見えてますね。詳しくはのちほどご紹介します。
神門をくぐると石の鳥居の先に拝殿が見えてきます。
鎮守の森に囲まれた、厳かなお社です。
拝殿から本殿を望みます。
社殿は室町時代初期の建築と推定され、国の重要文化財に指定されています。
祭神の別名「矢落大明神」の扁額が見えますね。
また、本殿西側の末社、八幡神社社殿も室町時代中頃の建築と推定され、こちらも国の重要文化財に指定されています。
小泉神社もそうですが、町の何気ない神社の社殿が、しれっと重要文化財というのが、一度故郷を離れて、広島やら東京に住んだ身としては、故郷のすごさを改めて実感するところでもあります。
国宝やら重文の標識が「珍しい」ものという認識は、奈良を離れるまでありませんでした。
こちらは境内にある二の矢塚。
先述の当社の由緒にある饒速日命が放った3本の矢のうち2射目の矢が落ちたと伝わる場所です。
ちなみに当社の南東の1キロばかり離れた場所に一の矢塚、北西にこれまた1キロ弱離れた場所に三の矢塚があります。
こちらは神門の裏がわです。なかなか立派な建物です。
瓦に矢をかたどった神紋がみえます。
神門正面です。
はい、見事なプロペラですね。
神門にプロペラがかかっている神社なんてこの神社だけではないでしょうか。
祭神である饒速日命が天磐船に乗り飛行したという先代旧事本紀に記された故事から、昭和の初めに内務省神社局が当社を「航空祖神」として以来、航空関係者の崇敬を集めることになったそうです。
プロペラは1943(昭和18)年に大日本飛行協会(現日本航空協会)大阪支部から奉納されました。ちなみにこのプロペラ、旧陸軍の九一式戦闘機から取り外された本物のプロペラです。
このプロペラも年季が入って、かなり神門になじんでますね。
ちなみに神門の「航空祖神」と書かれた扁額は、戦前は海軍のアクロバット飛行のパイロットとして名を馳せ、戦後、初代航空幕僚長としてブルーインパルスを設立するなど航空自衛隊の育ての親としても知られる源田実が奉納したものです。
さて、簡単ではありますが、ビジュアル的にインパクトの強い、ちょっと不思議な矢田坐久志玉比古神社をご紹介しました。
駅から少し遠いですが、鳥居の東側に無料の駐車場もありますので、ぜひ一度お参りしていただきたい神社です。