大和徒然草子

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十市城~水田に消えた中世城郭の面影

皆さんこんにちは。

 

今回は奈良県橿原市にある中世城郭、十市(とおいち)城の周辺を散策してきましたので、ご紹介します。

堀や土塁などの遺構はほとんど見当たりありませんでしたが、外郭の市場町であったと推定される、現在の十市町の集落は、遠見遮断の路地が入り組む中世環濠集落の特徴を色濃く残す町でした。

 

十市城とは

十市城の場所はこちら。

近鉄橿原線新ノ口駅の北東1Kmほどの場所にあります。

奈良県民にはお馴染みの、運転免許センターから寺川を挟んですぐ北側になります。

 

奈良県民でも「あれ、あんなとこにお城なんてあったっけ??」と頭にクエスチョンマークが出る方も多いかもしれませんね。

十市城は、築城年代は明確ではありませんが、南北朝期から活動が史料に現れ、戦国時代には筒井氏越智氏と並ぶ有力な大和武士となった、十市(といち)氏が本拠とした城郭です。

十市氏は主に筒井氏と行動を共にしましたが、1559(永禄2)年に始まる松永久秀の大和侵攻では久秀に降伏。以後、家中が親筒井派と親松永派に分裂して相争い、没落することになります。

ちなみに、この時の抗争で犠牲となった十市の人々が怨念になり、じゃんじゃん火という妖怪になったという伝承があり、今回ご紹介する十市城も、じゃんじゃん火が現れると伝わる地だったりします。

※じゃんじゃん火については、下記の記事で詳しくご紹介していますので、是非あわせてご一読ください。

www.yamatotsurezure.com

十市城は、室町時代の初期から1536(天文5)年に、十市遠忠が現在の天理市東部山中に龍王山城を築いて本拠を移すまで、十市氏の本拠地として機能していました。

十市氏の本拠ではなくなった後も、中和の重要な戦略拠点として、筒井順慶松永久秀の抗争で、熾烈な争奪戦が繰り広げられます。

廃城の時期は定かではありませんが、1580(天正8)年、織田信長の命で郡山城以外の大和国内の城が破却されたときに、十市城も破却され、町場だけが環濠集落として残ったのでしょう。

発掘調査や現在の小字名などから、十市城の規模はおおよそ以下のようなものだったと推察されます。

国土地理院HPより作成


現在の十市町旧集落北側にある、1辺70mほどの微高地を主郭とし、これを中心に町場を含めて東西550m、南北430mほどの規模を持つ城郭でした。
地図を確認すると、旧城域内にある現在の路地も、行き止まりやクランクが多く確認され、中世城郭であった時代の痕跡が色濃く残されていることが分かりますね。

 

城跡周辺

集落の南側から、かつての城域に入っていきます。

集落への入口は、大きく屈曲したクランクとなっています。

手前は暗渠になっていますが、元々堀であった水路が流れていました。

中世由来の環濠集落ではおなじみの光景ですね。

 

集落内の簡易郵便局の北東側にあった、一見雑木林のような場所。

よく見ると盛土が南北に伸びており、もしかしたら土塁の跡かもしれません。

 

集落の中央を東西に貫く通りの南側は水路が伸びています。

集落内もいくつかの垣内に分かれ、それぞれ堀で囲まれていたようです。

なので、この水路もそういった堀の痕跡かと思います。

 

通り沿いの大神宮常夜灯。こちらも奈良県内の歴史ある集落にはお馴染みの構造物です。

「市場中」と字名が刻まれていました。

 

集落内を東西に貫く通りは一本だけで、南北の通りはすべて丁字で、東西の通りと交わります。

行き止まりも多く、中世的な遠見遮断の街路がそのままの形で残されていました。

狭隘なので、自動車を利用するには不便な道路かと思いますが、道幅も含めて往時の姿を今に伝える土地の記憶で、貴重な場所です。

 

集落を北に抜けると水田が広がりますが、周りの田圃より少し高い場所が、畑になっています。

 

現在、この微高地の畑が、かつて、十市氏の館があった十市城の主郭部と推定されてる場所です。

ちなみに十市城は先にも述べた通り、奈良県下でも最恐クラスの妖怪「じゃんじゃん火」の伝説が残る場所。

じゃんじゃん火は「ほいほい」と2、3度呼びかけると、「じゃんじゃん」と音を鳴らして怪火が現れ、人を焼き殺すと伝わる妖怪ですが、こちらの場所は少し周りの民家から離れているので、夕暮れ時など、本当に出てきそうな雰囲気です。

 

微高地の中に立派な石碑が建っていました。

筒井上の例でも見られますが、かつての領主居館跡は、後世まで住民が宅地を建てることを憚って、廃城後も空き地や畑になることが多いですが、こちらの十市城も同様、畑になっていました。

十市城は、中世大和においては、非常に重要な城郭でもあったので、発掘調査の結果も踏まえた案内板なども設ければいいのになと思いました。

主郭部の遺構は全て土の下で、城の遺構は何一つ残っていないと紹介されることも多い十市城ですが、外郭部にあたる旧集落の街路は、戦国の遺風を残した中世環濠の特徴が非常に良く残っていて、旧集落全体が城郭遺構と言えると思います。

 

今回初めて集落内を散策しましたが、見通しの麾下な遠見遮断に、行き止まりも多くて、位置感覚の狂いを体感できました。

中世の街路に翻弄されるのも、古い集落を散策する醍醐味ですね。

リンク

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