皆さんこんにちは。
奈良県平群町の平群中央公園は、多目的広場やテニスコートの他、ジョギングコースや巨大スライダーが目玉遊具の冒険広場など、大人から子どもまで楽しめる平群町民にはお馴染みの公園です。
実はこちらの公園、その敷地内に中世城郭の跡が二つもある珍しい公園で、両城とも、石田三成の懐刀として名高い戦国武将・島左近ゆかりの城跡なのです。
※島左近については、下記の記事等で詳しく取り上げていますので、よろしければこちらもご一読ください。
有名な戦国武将ゆかりの城跡なんですが、城跡としての知名度は高くないらしく、筆者の妻は公園の近所に生まれ育ったにもかかわらず、古墳があるのは知っていたものの、城跡は全く知りませんでした。
駐車場付きの公園内にある中世城郭の城跡は、珍しいと思いますので、これは広くお城を愛好する方や、そうでない方にも知っていただきたいです。
今回は、平群中央公園にある城跡のひとつ、下垣内(しもがいと)城を中心にご紹介します。
平群中央公園について
まず、平群中央公園について簡単にご紹介です。
平群中央公園の場所はこちら。
近鉄生駒線の平群駅と竜田川駅のほぼ中間付近、竜田川西岸の小高い丘の上にあります。
最寄り駅は竜田川駅で、徒歩15分。
公園には無料の駐車場もありますので、自家用車の利用が便利です。
立地的には平群谷の平野部ほぼ中央、生駒山地の麓に伸びた丘陵の突端にあります。
町の中心施設を造るにも、お城を築くにも最良の場所といえるでしょう。
こちらが公園の案内図になります。
グラウンドを中心にゲートボール場、テニスコートなどの運動施設があり、グラウンドでは、盆踊りなど町のイベントも毎年行われています。
散歩やジョギングに最適な遊歩道もあって、町民の皆さんがいつでも気軽に利用できる都市公園であるだけではなく、園内には西宮古墳と、二つの中世城郭、下垣内城、西宮城の城跡が含まれるという、史跡公園の一面も持っています。
公園のほぼ半分が、古代から中世にかけての遺跡で、歴史好きの方には是非一度訪れていただきたい場所になります。
下垣内城とは
公園北東部の周囲よりやや高い丘が、下垣内城の城跡となります。
その城域は公園北東の安養寺境内も含め東西150m、南北120m以上にわたり、現在の航空写真で見ると、おおよそ赤く囲ったエリアにまたがっていました。
現地に設置されている案内版に、発掘調査に基づく縄張り図が書かれていました。
周囲を堀と土塁で囲み、堀切で分断した二つの大きな郭を中心とした城で、特に東西二つの郭を分断する堀切は深く、土塁の上から堀底まで8mもありました。
もともと主郭部だけの単郭の城と見られていましたが、発掘調査で中央の堀切が発見され、西側の郭も発見されたとのこと。
城の出入り口は東側にあり、麓の安養寺の脇を通っていました。
こちらは1940年代後半の航空地図ですが、二つの大きな郭とそれを分断する堀切の輪郭がうっすらと残っているのがわかります。
こうしてみると、現在も残っている城跡東側の細長い水田は、もともと巨大な堀だったのかもしれませんね。
現在この城跡は下垣内城と呼ばれていますが、同時代にどのように呼ばれていたかは不明で、その名は城跡のある大字「下垣内」から後世つけられたものです。
正確な築城年代は不詳ですが、発掘された遺品から13世紀から17世紀初頭にかけて使用されていたことが分かっており、鎌倉時代の末期から城跡一帯に広がっていた富貴寺荘の下司職として活動した、島(嶋)氏の拠点であったと推定されています。
島氏は、興福寺一乗院坊人として鎌倉時代末期から史料上にその名が現れ、戦国時代に島左近清興を輩出した氏族として知られます。
島左近は、筒井順慶に仕えたあと、天下人豊臣秀吉の奉行であった石田三成に仕えた戦国武将ですが、江戸時代の軍記物から現代の小説、ドラマをはじめとする様々な創作物で、順慶と松永久秀との抗争や関ヶ原の戦いでの活躍が描かれ、全国的に有名になった人物です。
この左近の母の位牌が、下垣内城内にある安養寺に残されていたことから、下垣内城は左近と何らかの縁があるのではと考えられる場所になっています。
現在の下垣内城
それでは現在の下垣内城の様子をご紹介しましょう。
公園中央のグラウンドから東にすすむと、台地状の小高い丘が見えてきます。
この丘が下垣内城跡になります。
台地の中央に東屋とバーゴラがあり、その中に公園施設や史跡の案内板が設置されています。
台地の上は平たく整地されています。
土塁や切岸は発掘調査後に埋め立てられ、今は誰でも気軽に入れる空間になっています。
城跡から西を臨むと、信貴山城本丸である雄嶽がよく見えます。
下垣内城から東の丘陵には、平群町が島左近の城として推している椿井城もあり、平群町は狭い谷間に多くの中世城郭が密集している、県内屈指の城跡集中地域です。
台地の上は多目的広場になっていて、開放感あふれる空間。
かつて郭を南北に分断していた堀切や土塁は埋め立てられており、往時をしのばせる遺構を現在は直接見ることはできません。
しかし、見晴らしは非常によくて近隣を一望できます。
そのロケーションから、城跡であったことを体感できる場所と言えるでしょう。
規模的には在地領主の館城かなという印象です。
堀切や土塁を埋められているのは、誰でも気軽に楽しめる公園にするため、必要な措置と思いますが、往時の姿をイメージできるような工夫があれば、公園としての魅力がさらに増すんじゃないでしょうか。
お城好きには残念なことに、現在平群中央公園の二つの城跡は、城跡としてのPRはほとんどされていないように見えます。
近年、城跡巡りは徐々にメジャーな趣味になりつつありますし、町の貴重な観光資産として、平群中央公園の城跡も活用してほしいですね。
南側の谷底から下垣内城を見上げます。
南側の西宮城との間に横たわる谷は、かなり深いです。
谷底まで現在はなだらかな傾斜ですが、かつては帯郭と切岸で防備を固めていたのでしょう。
南側の谷間を挟んで隣接する西宮城とは、別個ではなく一つの城郭だった可能性も指摘されていますが、一つの城郭だったとすると東西120m、南北220mという中世在地領主の館城としては、規模が大きい部類に入ってくると思います。
公園を出て園地の東側に、かつての下垣内城の大手であった道があります。
城跡である丘陵の麓まで、細い道沿いに現在数軒の民家が立っています。
通路の奥にある安養寺。
こちらのお寺には、正面に「安養寺殿安耀真栄大姉」、背面に「天文十八年九月十五日 嶋佐近頭内儀」と記された位牌が伝わり、これが島左近の母親の位牌とされています。
この位牌は、同時代の史料が乏しいため謎に包まれた島左近の出自を示す、非常に貴重な傍証の一つです。
ちなみに左近の母の命日、1549年9月15日から51年後の同日に、奇しくも関ヶ原の戦いが行われました。
左近が関ヶ原で戦死したのであれば、母の命日に自身も命を落としたことになり、奇縁を感じずにはいられません。
下垣内城は、広場として整備するため遺構のほとんどを埋めてしまったこともあり、城跡としてのPRがほとんどありません。
しかし、不明点が多い島左近の出自に光を当てる物証が、その城内に残されている点で、歴史ファンには興味深い城跡であるといえるでしょう。
次回は、平群中央公園のもう一つの城跡、西宮城をご紹介します。
おすすめの宿
今回ご紹介した平群中央公園の他、信貴山や紅葉の名所竜田公園など奈良県平群町近隣の観光拠点におすすめの宿です。
場所はこちら。
お食事付きの日帰りプランや日帰り入浴も魅力的なホテルで、筆者も妻の実家に帰るたびに家族で日帰り入浴を楽しんでいます。
散策で疲れた体を、日帰り入浴で癒してから帰路に着くのもおすすめです。
■日帰り入浴の利用時間
11:00~20:00(受付終了19:30)
■入浴料金
大人800円(小学生を除く12歳以上)
子ども(小学生)600円
平群中央公園にあるもう一つの城郭、西宮城の紹介はこちらです。
リンク
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