大和徒然草子

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江戸~昭和初期の町屋・建築が残る旧伊勢街道とアーケード街~桜井まち散歩1

皆さんこんにちは。

 

奈良県桜井市といえば、大神神社箸墓古墳といった、古代史ロマンがあふれる町というイメージが強いですね。

 

古代の遺跡や古社が集中するのは市北東部や南部で、桜井市中心市街はJRと近鉄が乗り入れる桜井駅近辺になります。

桜井市中心市街は、観光的には「何もない」と思われがちな地域かもしれませんが、奈良県の「何もない」と思われている場所は、中世・近世の遺構や痕跡が面白いエリアが実は多いのです。

桜井もこの例にもれず、桜井駅の南に広がる桜井の町は、かつて伊勢街道多武峰街道が交差する札の辻を中心に、商家と宿が建ち並ぶ宿場町として栄えた場所で、旧街道沿いに往時をしのばせる町屋や道筋が残されています。

 

今回は旧伊勢街道沿いの様子を中心に、現在の桜井の町の様子をご紹介します。

桜井駅

桜井市の玄関口、桜井駅です。

北側は近鉄桜井駅

駅前の広場には、箸墓古墳をモチーフにしたモニュメントが設置されています。

桜井市といえば、山の辺の道を中心とした古代史のメッカですので、やはりここは古墳推しです。

 

モニュメント脇には、これでもかと詰め込まれた「はじまり」アピール。

桜井市北東部の三輪山麓は、最初期の大和王権が拠点とした地域なので、日本初や「発祥の地」が多数あります。

 

駅の南側はJR桜井駅

JR桜井駅は1893(明治26)年、大阪鉄道の高田~桜井間の終着駅として開業した歴史ある駅です。

かつては、近鉄とJRは改札をくぐらずに相互乗り換えが可能な駅でしたが、1995(平成7)年に現在の橋上駅舎が完成し、改札も別れました。

一昔前までは、構内改札がない駅も多かったですが、今ではすっかり姿を消してしまいました。

奈良で残っているのは、吉野口駅(JR、近鉄)くらいかなあ。

 

伊勢街道

駅から南に向かうと、「本町通」の大きな看板が見えてきました。

こちらの通りが、近世に大阪と伊勢を結び、「お蔭参り」で大いに賑わった伊勢街道です。

伊勢街道はもともと古代官道の横大路で、桜井中心街から寺川を西に越えてすぐの仁王堂の辻で、これまた古代官道の上ツ道と交差しており、桜井近辺は古代から人の往来が盛んなエリアでした。

ちなみに↓は現在の仁王堂の辻の様子。

桜井の町が本格的に発展するのは江戸時代。

伊勢街道と多武峰街道が分岐する札の辻近辺に、伊勢街道に沿って人家が建ち始めたのが始まりです。

桜井村はもともと旗本領でしたが1616(元和2)年に天領となり、1619(元和5)年から伊勢・津の藤堂家津藩)領となり、幕末まで藤堂家による支配が続きました。

ちなみに津藩は、現在の三重県域を支配していたイメージが強いですが、奈良県域にも現在の桜井市天理市奈良市の一部に広大な領地を持っていました。

 

桜井は万治から寛文年間(1658~1673)にかけ、町方として保護が加えられ、伊勢街道の主要な宿場町の一つとして繁栄します。

 

それではゲートをくぐって、伊勢街道を東へ向かうことにします。

 

かつて、本町通1~3丁目まで全長400mの巨大なアーケード街でしたが、2014(平成26)年にアーケードは撤去されました。

アーケードが撤去される直前の本町通商店街の様子は、こちらの記事が詳しいです。

シャッターを降ろした店舗が目立ち始め、残された町屋の景観を活かした町づくりを推進するため、アーケードは撤去されたとのこと。

 

青空の下、通りを進んですぐに、古風な洋風建築が見えてきます。

1930(昭和5)年に建てられた旧吉野銀行桜井支店です。

古くからの町並みに残る、この手のシャレオツな建物は、たいてい銀行の建物ですね。

一見石造りに見えますが、実は木造建築

昭和初期の貴重な木造モダニズム建築で、国の有形登録文化財に指定されています。

1階外壁は擬石塗で2階はもともと化粧タイル張りでした。

 

旧吉野銀行桜井支店の建物から東に向かうと、通りが絶妙なカーブを描いています。

緩やかなカーブが続く道筋も、桜井を通る伊勢街道のおおきな魅力。

現在もショッピングモールなどは、ゆるくカーブをつけて先の店舗まで見通せない構造が主流になっていますが、通りの先を見てみたいという人間心理をくすぐる構造になっていますが、同じ効果を生み出すカーブです。

 

旧吉野銀行桜井支店の隣は、融通念仏宗寺院の来迎寺境内。

1513(永正10)年創建で、本堂は江戸末期に再建されたもの。

明治時代に作成された古図と見比べると、かつての位牌堂は現在墓地になっています。

寺院実測并見取図 磯城郡(元十市郡)~来迎寺(奈良県立図書情報館蔵)

また、現在の表門は明治までは東門で、もともと伊勢街道側に表門があったことが分かります。

旧桜井村随一の大寺で、天誅組の変では天誅組討伐のため出兵した津藩の藤堂玄馬が本陣とした(『磯城郡誌』)とのこと。

 

再び伊勢街道に戻ると、かつてのアーケード街にもぽつぽつと古い町屋が残されています。

こちらのお屋敷は、格子戸などきれいに修復されていますね。

 

こちらは多武峰街道との分岐点、札の辻です。

札の辻は町の中心として江戸時代には高札場がおかれたほか、1808(文化5)年には正確な日本地図作成のため全国の測量を行っていた伊能忠敬が、この場所を基準点として測量を行いました。

ちなみにこの時に、伊能忠敬の手により作成された桜井近辺の測地原図が下図。

伊能忠敬測地原図(東京大学附属図書館蔵)

赤い点が打たれた場所が測量地点で、中央付近に「櫻井村」とあります。

ちなみに右が北になります。

緻密な測量で多くの観測点で測量を行っていることがわかるのですが、奈良~桜井~八木の区間は、非常に村の名前が多く、街道沿いの村々の賑わいがうかがえます。

 

上記の測地原図に基づいて製図されたのが下図で、江戸時代の桜井が南北の街道が交差する要地であったことが地図からもわかります。

伊能図(国土地理院HPから転載)

八木、桜井、三輪、長谷寺の位置関係が恐ろしく正確。

さすが伊能図です。


1922(大正11)年から全国に設置された道路元標も、札の辻に建てられ今に残ります。

この場所が当時の桜井の中心と認識されていたことを示しています。

 

札の辻には、木製の案内版が設置されていました。

周辺観光に役立つ情報が、簡潔にまとめられていて便利です。

 

こちらもつし二階の歴史を感じる町屋。

橿原市今井町八木町のように集中しているわけではありませんが、江戸時代以前の典型的な商家が、ほぼ往時のまま街道沿いに残されています。

こちらの町屋も最近修復されているようですね。

 

今回、伊勢街道沿いで、目を見張ったのがこちらの道筋。

家の敷地が一軒ずつ道に食い込むようにせり出し、道筋がノコギリ状になっているのがお分かりいただけるでしょうか

旧街道沿いの宿場町に特徴的な道筋で、全国的に見られます。

一般的にこのような道筋は、家陰に身を潜めて侵入してくる外敵を迎撃しやすくする、遠見遮断の仕組み(「武者隠し」とか「矢止め」と呼ばれる)とも伝わりますが、他にも家の陰に隠れることで大名行列の土下座時間を減らすためとか、たまたま道に対して地割が平行でなかっただけとか、諸説あります。

桜井のこの場所に関して言うと、領主である伊勢藤堂家の殿様が参勤交代で桜井を通ることはないので、土下座時間の短縮はないかなと思います。

※江戸時代、領主以外の大名行列に土下座の必要はありませんでした。

地割がたまたまそうなっていただけかなとも思いますが、町の東側出入り口に近いこともあり、遠見遮断だった可能性もあるかと思います。

こういった旧街道の痕跡は、区画整理や道路拡張で消えてしまうところも多いのですが、奈良で残っているところは少ないんじゃないでしょうか。

管見ながら筆者はこの場所以外、奈良でここまできれいなノコギリ状の道を見たことがありません。

本町地区では、伝統建築の町並みを中心とした景観づくりを進めておられるとのことなので、このギザギザの道筋も是非保存の上、魅力の一つとしてアピールされればと思います。

 

中央通り商店街

札の辻と食い違いの交差点で北に延びているのが、中央通り商店街

このエリアだけ、昭和の香りが漂うアーケード街として残っています。

 

こちらの通りは丹波市(現天理市中央市街)、奈良へと続く上街道に接続する旧松山街道です。

松山街道は三輪を起点に桜井で伊勢街道と合流し、宇多ヶ辻で再び分岐して忍坂、女寄峠を越えて宇陀松山に至る街道でした。

ほぼ現在の国道166号線と同一のルートになります。

 

アーケード街に面して山門を構えるのは、日蓮宗寺院の恵光山妙要寺

1628(寛永5)年開基の寺院です。

 

北(左)側から本堂、妙見堂と並んでいます。

ほぼ明治中頃に作成された絵図と変わらない形で、伽藍が残されています。

寺院実測并見取図 磯城郡(元十市郡)~妙要寺(奈良県立図書情報館蔵)

妙見堂は虹梁や欄間の精緻な彫刻が非常に目を引く建築です。

実はこの妙見堂、1878(明治11)年に興福寺別当寺院であった大乗院の観音堂を移築したものとのこと

訪問したときは、大乗院の移築建築とは知らず、ただただ彫刻や全体の姿が立派なところに目を引かれて見学していたのですが、後でそれと知り、なるほどと納得のお堂でした。

明治の廃仏で消失した大乗院の大変貴重な現存建築になのですが、特になんの文化財指定も受けていないのが、本当に不思議です。

意匠的に江戸期の建築かと思いますが、大乗院からの移築であれば、歴史的経緯を考えても何らかの文化財に指定して、大切に伝えていくべき建築かと思います。

 

中央通り商店街の北側に出てきました。

平日の昼間ということもあり、閑散としていましたが、昭和レトロな町並みは最近人気もあるので、この景観を資源化できればいいんじゃないかと思います。

江戸の風情と昭和レトロが間近に同居する空間も面白いですよね。

 

実際歩いてみて、桜井の町は景観の再構築をまさに現在行っている真っ最中という印象を受けましたので、今後の継続的な取り組みに期待したいです。

江戸時代の町屋に中世~近世にかけて建立された寺院、旧吉野銀行桜井支店や大正5年改築の幼稚園園舎(園児が園庭で遊んでいたのでさすがに撮影を憚りました)など、魅力的な建物がたくさんある町なので、景観づくりにぜひ活かしていってもらいたいです。

 

おすすめの宿

札の辻に面した築200年の町屋をリノベーションした「ゲストハウス和櫻」さんです。

詳しくは下記の旅行ページをご参照ください。※クリックすると各旅行サイトへ移動します。

【じゃらん.net】

【 楽天トラベル】

次回はこちら。

 

www.yamatotsurezure.com