大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

美しき三重塔。謎多き寺院、奈良県広陵町の百済寺

皆さんこんにちは。

 

奈良県内にはたくさんの美しい寺院建築があります。

法隆寺興福寺など世界的に有名な場所もたくさんありますが、観光地としてあまり知られていない場所でも、見事な建築があるあたりが、奈良の底知れぬ魅力かと思います。

今回ご紹介する百済寺三重塔も、そういった名建築です。

百済寺とは

百済寺(くだらじ)の場所はこちら。奈良県広陵町百済の地にあります。

周囲を田園に囲まれ、奈良盆地の原風景が広がるエリアになります。

鉄道駅からは遠いので、自動車の利用をお勧めします。

公共交通機関ご利用の場合は、近鉄高田駅発着のコミュニティバス広陵元気号南部支線が利用可能です。

www.town.koryo.nara.jp

境内の北側は百済寺公園になっており、こちらには駐車場もあって自動車を利用すると非常に便利です。

百済寺は、高野山真言宗の寺院で山号はありません。

創建については、「日本書紀」に639年、舒明天皇聖徳太子の建立した熊凝精舎を引き継いで建立したとされる百済大寺(現大安寺の前身寺院)を前身とする説が、江戸時代から唱えられていましたが、近隣から飛鳥時代の瓦や遺構が見つからないことや、奈良県桜井市吉備池廃寺跡百済大寺跡として有力視されたことから、現在では百済寺百済大寺跡と比定する説は、ほぼ否定されています。

その他、弘法大師平安時代百済大寺の故地を偲んで再興したという伝承もありますが、百済寺の正確な成立年代や経緯などは、現在のところ不明です。

室町時代には多武峰妙楽寺の末寺となり、慶長年間には6坊を数えましたが、江戸末期の天保年間には2坊を残すのみとなりました。

明治になるとついに無住となって廃寺となりましたが、その後真言宗寺院として復興され、現在境内の管理は隣接する春日若宮神社、寺務は當麻寺西南院で行われています。

御朱印は、當麻寺西南院で受け取ることができます(ちょっと遠いですね:汗)。

 

境内

境内に入ります。

隣接する春日若宮神社とほぼ一体化した境内の中に、美しい三重塔があります。

初層は回縁を張り、中央に板扉、左右両脇間は連子窓、二層三層には高欄を付けて彩色を施した、本瓦葺きの見事な三重塔で、国の重要文化財に指定されています。

全高23.27m、相輪高8.39mで、建設年は確かではありませんが、様式から鎌倉時代中期と推定されています。

瓦刻銘から室町中期の1463(寛正4)年に、東坊定弘により木瓦葺きから本瓦葺きに葺き替えられました。

その後、江戸時代に2度修理され、1930(昭和5)年には解体修理が行われ、現在にその威容を伝えています。

解体修理前は相当傷んでいたようで、倒壊寸前だったようです。※修理前の写真は下記URLをご参照ください。

http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2006to//kudaraji39.jpg

正確な建築年代がわかり、鎌倉期の建築であることが証明されれば、国宝に指定されてもおかしくない見事な三重塔だと思います。

同時期に建設されたと考えられる、国宝の興福寺三重塔と本当にそっくりな姿をしていて、鎌倉中期ではスタンダードな建築だったのかもしれないですね。

 

ちなみにこちらが興福寺の三重塔。

軒の反り方や連子窓、高欄の意匠など共通点が多く、本当にそっくり。

興福寺三重塔

世界遺産の構成建築と同等の価値を持つ建築が、静かな集落にしれっと建っているところが、いかにも奈良県らしいところです。

 

境内の梵字池。

大日如来を意味する「バン」と発音する梵字の形で、池が掘られています。

823(弘仁14)年に弘法大師百済寺の荒廃を嘆き、その再興に際して掘られたと伝承されています。

ちなみに広陵町広瀬の与楽寺には阿閦如来を意味する「ウン」の梵字池、田原本町秦楽寺には胎蔵界大日如来を意味する「ア」の梵字池があり、全て弘法大師が築造したと伝承され、合わせて弘法大師の三霊池と呼ばれています。

 

境内の一角に山部赤人の歌碑がありました。

百済野(くだらの)の萩の古枝(ふるえ)に春待つと居りし鶯(うぐひす)鳴きにけむかも

万葉集に収められた歌で、奈良時代、すでに荒廃していた百済宮跡で、古枝にとまって鳴く鶯に春の訪れを感じた山部赤人の歌です。

 

こちらは本堂で、大職冠と呼ばれるお堂です。

もともとは多武峰妙楽寺本殿で、大職冠像を祀っていたお堂ということで、大職冠の名で呼ばれているのでしょう。

江戸期の妙楽寺本殿は元和・寛文・享保・寛政・嘉永の5回造替されましたが、様式から享保の造替で建造された本殿と見られます。

寛政の造替で新本殿が作られた際に、いったん妙楽寺内で毘沙門堂として移転し、幕末嘉永の造替で百済寺へ移築されたようです。

毘沙門天が祀られており、元々は毘沙門堂だったと考えられますが、百済寺の衰退で本来の本堂は失われてしまったので、本堂とされるようになったのかもしれません。

一度廃寺となった百済寺は、正確な寺伝があまり伝わっていないこともあって、本当に謎だらけのお寺です。

 

三重塔と本堂は、事前に広陵町に申し込むと、開扉のうえ内部の見学が可能です。

詳しくは、下記の広陵町HPをご参照ください。

www.town.koryo.nara.jp

非常に小さな境内ですが、重文の三重塔はもちろん、梵字池や大職冠のお堂など見所十分な寺院です。

特に三重塔は、本当に美しい塔ですので、是非ドライブで近くを通られるときは、ぜひ足をお運びください。