大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

大和郡山城 惣構えの城下町に残る城の痕跡を巡り歩く


皆さんこんにちは。

 

前回記事では郡山城城址公園内をご紹介しました。

今回も郡山城のご紹介なのですが、今日は城下町に出ていこうと思います。

しかしながら城下町のご紹介・・・というわけではなく、城下に残る「お城」の遺構のご紹介です。

 

 

惣構え

 

普通「お城」っていうと、本丸、二の丸、三の丸といった、天守などがある本丸近辺だけと思ってる方が多いんじゃないでしょうか。

もちろんそういうお城も多いのですが、郡山城は城下町まですっぽり外堀に囲まれたいわゆる「惣構え」のお城で、城下町まで含めて「お城」といえる場所なのです。

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和州郡山藩家中図(奈良県立図書館蔵)

上の図は幕末のころの郡山城と城下町の絵図です。

白が武家地、茶色が町人地、朱色が寺社です。ちなみに上が西、下が東の地図になってます。

町を外堀が囲んでいるのがわかりますね。

郡山城については内堀、中堀は、ほぼ現在もそのまま残っているのですが、外堀は西側はほぼ消失、東側は一部良好な形で残っています。

どこの城下町も外堀はなかなか残らないので、この現状は致し方なしというところでしょうか。

それでは城下町に残るお城の遺構を見ていきましょう。 

枡形と中堀

 

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三の丸から大手枡形跡を望む。正面に見えるのは三の丸会館。

こちらの写真は市役所前の交差点ですが、正面の「三の丸会館」(市民ホールです)の
手前などに石垣があるのがわかるでしょうか。
実はここ、かつての大手口で柳門、頬当門からなる枡形の遺構なんです。
枡形がそのまま交差点となっています。
お城が好きな方なら「これ枡形じゃね?」とピンとくる地形かもしれません。
東京の牛込見附跡もそうですが、枡形は現在の町の姿に溶け込んでいることも多い遺構で城下町ならではの光景です。

 

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中堀跡 現在は一見すると側溝にしか見えない。

 こちらは住宅街の中に残る中堀です。武家地と町人地を分けていた堀です。
この堀はきっちり残っているのですが、一見すると側溝のようですね。

下水道が不完全だった時代には、下水が流入して悪臭を発生させたり、大雨が降ると溢水したりしたので、環境整備されたと思うのですが、もう少し風情のある形で残せなかったものかとちょっぴり残念な気分もします。

中堀は上掲の写真の場所からすぐ南側で外堀と接続しています。

外堀

 

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外堀緑地 東側外堀の一部は整備され公園化されている。

郡山城の外郭を構成する外堀は、他の城下町同様その多くが埋め立てられました。

しかし、かつて秋篠川の流路を活用して作られた東側の外堀は比較的残存しており、一部は整備され公園となっています。


中堀とは扱いが大きく違いますね。

外堀緑地に沿って北に進み、南鍛冶町、中鍛冶町、北鍛冶町そして郡山北小学校の東端に、良好に残存する外堀の遺構を見ることができます。

案内板を参考にぜひ一度、一周したいなと思っています。

 

郡山城の遺構をここまで足早にご紹介してきましたがいかがだったでしょう。
現代の中心市街に存在する城跡としては比較的たくさんの遺構が残っているお城だと思います。
郡山は高度成長期に市内中心部について道路拡張を含めた再開発があまり進まなかったので、手つかずのまま遺構が残ってきたのだと思います。

最近では街歩きもブームになってきており、はからずも残った遺構が貴重な観光資源に転換して、これからも残っていってほしいと願います。

次回は郡山の城下町の風情が残る場所などご紹介していきたいと思います。

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