皆さんこんにちは。
暑さ寒さも和らぎ、外に出るのが気持ちのいい季節になると、ぶらりと眺めの良い場所に出かけたくなる方も多いんじゃないでしょうか。
そんな方にピッタリな場所が奈良の般若寺。
近年お花の寺として人気が高いスポットです。
般若寺は一年を通じて、いろいろな花が境内を彩るお寺ですが、とくにお出かけには最適の陽気となる初夏と秋は、境内に咲き誇る15万本のコスモスが壮観です。
以前から一度訪れてみたかった場所でもあり、ちょうど秋のコスモスが満開というタイミングを見計らって訪問しましたので、境内の様子をご紹介したいと思います。
コンパクトな境内ですが、花だけでなく歴史的スポットの密度も高いお寺でした。
般若寺とは
般若寺の場所はこちら。
寺伝によると般若寺の創建は飛鳥時代、高句麗からの渡来僧慧灌法師によって開かれ、般若寺の名は奈良時代の735(天平7)年、聖武天皇が平城京の鬼門封じのため『大般若経』を寺の基壇に埋めたことが由来とされていますが、実のところ平安時代以前の般若寺の実態を示す史料は乏しく、詳しいことは分かっていません。
1180(治承4)年、平家が奈良に攻め込んだ際は般若寺一帯は激戦地となり、総大将の平重衡による南都焼討で全山焼亡し、以後しばらく廃墟と化しました。
鎌倉時代になると東大寺の良恵が、かつて聖武天皇が建立したと伝わる十三重塔を再建するため勧進を開始、1253(建長5)年頃までに完成します。
その後、西大寺の叡尊が伽藍全体を本格的に復興し、丈六(約5m)の文殊菩薩像を本尊として、近隣の北山宿に集住する非人達の救済拠点としました。
※叡尊については、下記の記事で詳しくご紹介しています。
その後、室町時代の1490(延徳2)年に発生した火災で、叡尊が供養を行った本尊の文殊菩薩像は焼失し、1567(永禄10)年に再び南都を焼き尽くした三好三人衆・筒井順慶連合軍と松永久秀の戦い(東大寺大仏殿の戦い)で、現在の楼門、経蔵を除く主要な伽藍が焼失しました。
江戸時代に伽藍の再建が進み、1791(寛政3)年に出版された大和名所図会には、再建された本堂と、十三重石宝塔、楼門、経蔵、鐘楼、鎮守社といった、現在も残る伽藍の姿が描かれています。
元は南側に中門、南大門を備えてこちらが正門でしたが、戦国期の焼失後は再建されず、奈良街道に面した西門、現在の楼門が入山口となりました。
明治に入ると、廃仏毀釈の荒波に巻き込まれて無住となり、一時、本山西大寺の管理下に入るなど荒廃した時期もありましたが、戦後諸堂の修理が進んで再建され、現在に至ります。
現在の航空写真を見ても、鐘楼西側の池が駐車場になったこと以外は、ほぼ江戸時代の伽藍配置がそのまま残されていることがわかります。
あと、境内へ入るのは、現在旧奈良街道側からは入れず、県道754号線(旧国道24号線)側から入るようになっています。
お寺へのアプローチの変化は、モータリゼーションの影響を強く感じる変化ですね。
境内
それではいよいよ境内へ!
境内南側の駐車場に拝観入り口があります。
十三重石宝塔
般若寺のシンボルともいえる十三重石宝塔。
先述の通り、平安末期に起きた平家による南都焼討で全焼した般若寺再建の嚆矢となった建造物であり、鎌倉時代初頭に東大寺再建のため南宋から招聘された石工、伊行末とその子行吉の手による石塔で、国の重要文化財に指定されています。
ちなみに伊行末は石工集団・伊派の祖で、子孫は「伊野」「猪野」「井野」など、イを冠する名字を名乗って活躍を続け、伊派の手による多宝塔や宝篋印塔、石仏などが全国各地に残されています。
まわりに大きな建物もないため、青空とコスモスのコントラストに十三重石宝塔のシルエットが映えます。
境内の一角にハート形のコスモス飾りが。
写真におさめようと、女性を中心に行列ができていました。(その中に一人おっさん(私)が並んでました:笑)
近くから仰ぎ見ると、膨らみがあって安定感のあるフォルムと、空に向けてまっすぐ伸びる様が美しい石塔です。
塔の初段には東に薬師、南に釈迦、西に阿弥陀、北に弥勒の顕教四仏が刻まれています。
ちなみに写真は東南側から撮影したものなので、釈迦仏と薬師仏のお姿が見えます。
こちらは鎌倉時代に建てられたとき、塔の頂上にあった初代の相輪。
室町時代の地震で落下し、般若寺東側の文殊山に埋められていましたが、昭和初期の国道工事で山が掘削されたとき発見されたものです。
2代目の相輪は地震後まもなく再建されましたが、これも1605(慶長10)年の地震で墜落し、現在は西大寺の本坊前庭で保存されているとのこと。
1703(元禄16)年の再建で作られた3代目の相輪は、度重なる地震による落下への対策からか、青銅製の相輪となりましたが、1854(安政元)年の伊賀上野地震で三度落下。
青銅化の効果もあったのか、このときは一部破損した程度だったそうです。
現在の相輪は4代目で、1964(昭和39)年の大修理のとき作られたもので、初代の相輪から型をとり、石片を樹脂で固めた擬石製で、鎌倉時代の姿を写したものとなっています。
しかし、こうしてみると、ほぼ100年周期で奈良にもたびたび大地震が起きていることが分かります。
前回の大地震からは170年ほど経っていますから、いつ来てもよいよう、日ごろの準備を怠りなくしないといけないですね。
本堂
本堂前の境内は、コスモスで埋め尽くされています。
初夏のコスモスより秋の方が、心なし密度が高い印象です。
こちらは、本堂脇に置かれている、鎌倉時代の本尊であった丈六文殊菩薩騎獅像の踏み蓮華石。
室町時代の火災で焼けてしまった本尊の数少ない遺物で、塑像の獅子が踏んでいた蓮華石です。
ちなみにこちらが、現在の本尊の文殊菩薩騎獅像。
鎌倉時代末期の1324(元享4)年、文観の発願で興福寺大仏師であった康俊とその子、康成によって作製され、国の需要文化財に指定されています。
元々経蔵の秘仏本尊でしたが、現在の本堂が再建された際に開扉され、本堂の本尊となりました。
本堂からの境内の眺め。
平日にもかかわらずたくさんの参拝者がいらっしゃいました。
土日はもっと混雑するのかな。さすがは奈良を代表するコスモスの名所です。
本堂基壇に並べられたコスモスのグラスキューブ。
本堂前の手水石船にもたくさんのコスモスが浮かべられ、境内はコスモス一色です。
本堂前の石灯籠。
鎌倉時代に造立され、竿と笠部分は後世補修されたものですが、それ以外の部位は造立当時のものです。
本堂周辺には三十三所観音石像が並びます。
1703(元禄16)年に寄進されたもので、当初は十三重石宝塔の基壇上に設置されていましたが、昭和の修理の際に本堂周辺に移されました。
現在の近畿2府4県と岐阜県にまたがる西国三十三所霊場を、実際に回るのは大変です。
そのため、霊場を象った石仏などを一か所に集めてお参りすることで、巡礼と同じご利益が得られるとされた写し霊場が、江戸時代流行して各地に造られました。
般若寺もそういった霊場として、江戸時代は機能していたのでしょう。
経蔵
境内の東側に『元版一切経』を納めた経蔵があります。
様式から鎌倉時代に再建されたときの建築と見られ、国の重要文化財に指定されています。
解体修理したところ、もともとは土間床であったことが分かり、建設当初は経蔵として使用されていなかったと見られます。
本来の用途は不明で、小規模ながらミステリアスな建物。
鎌倉幕府末期の元弘の乱で、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王が笠置城陥落後に吉野に逃れる道中、般若寺に潜伏し、経蔵の唐櫃に隠れて追手から逃れた逸話の舞台と伝わります。
境内には護良親王の供養塔もあります。
(見逃してしまいました:泣・・事前調査は大事ですね、、とほほ)
藤原頼長供養塔
経蔵の脇に、藤原頼長の供養塔がありました。
頼長は平安末期の公卿で、その才気あふれる様から悪左府の異名で呼ばれた人物です。
父である元関白忠実の後押しで一時朝政を牛耳ったものの、兄で関白の忠通と激しく対立し、1156(保元元)年の保元の乱で敗れて奈良に落ち延びました。
逃亡中に首に受けた矢傷がもとで亡くなり、般若山の麓、現在の北山十八間戸付近に葬られたと伝わります。
頼長というと2012年の大河ドラマ「平清盛」で、山本耕史さんが演じ、その妖しさ満点の怪演ぶりがとても印象に残っています。
【3位】藤原頼長(平清盛)78票。理由:とにかく、日本一の麿俳優。 pic.twitter.com/XCJDo5ld4C
— 山本耕史bot (@kojiyamamotoBOT) 2013年6月30日
というか、このイメージしかない!
こちらの供養塔を見て、「平清盛」で頭がいっぱいになりました(笑)
少し脱線しますが、2022年現在放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はすこぶる評判が高いのですが、ほぼ同時代を描いた「平清盛」は大河史上最低の視聴率で、当時の井戸兵庫県知事からも「画面が汚い」など散々な言われ方をしました。
個人的には最も好きな大河ドラマの一つで、生々しく平安後期の武士をその野蛮性も含めてリアルに描写し、登場人物や人間関係を非常に細かく描写した点で「鎌倉殿の13人」にも負けない群像劇だったと思います。
しかし、私も含めて一部の視聴者には熱烈に支持されたものの、当時全く一般受けしなかったのが本当に不思議です。
当時、あまり馴染みのない時代だからと敬遠された方でも、「鎌倉殿の13人」を見た後ならきっと大い楽しめるはずです!と最近思うことがしばしばです。
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※大河ドラマ「平清盛」については下記の記事も併せてごらんください。
。。。閑話休題
笠塔婆
十三重宝塔の建立に携わった伊行吉が、父である行末の一周忌にあたり、その供養のために建立したもので、もともと般若寺の南方で墓地であった般若野の入口に立っていたものです。
明治の廃仏で破壊されましたが、1893(明治26)年般若寺境内に移転再建されました。
その銘文は、東大寺再建に関わった宋人石工の事跡を伝える貴重な資料で、国の重要文化財に指定されています。
室町時代には、南都焼討を行った平重衡の墓とみられていたようで、世阿弥の子、観世元雅作の能、『重衡(異称、笠卒塔婆)』では、重衡の霊が現れ、消える場として登場します。
鎮守社
境内の北東隅に、鎮守社があります。
明治の神仏分離以前は、お寺に神社があるのは当たり前で、こちらの社は桃山時代の建築とされます。
かなり傷みが激しいので、早急に補修しないと今にも朽ち落ちてしまいそうですね。
お寺の境内に、かつての鎮守社がきっちり残っている点で貴重な建築ですので、なんとか修復していただきたいです。
平和の塔
境内西側の鐘楼付近にある平和の塔。
核兵器のない平和を祈念して1989(平成元)年に建立された建物で、広島原爆により起こされた火災から採火された「広島の火」と、長崎の被爆瓦から採火された「長崎の火」を合わせ、「原爆の火」として保存しています。
鐘楼
江戸時代に建立された鐘楼。
なんで、ここに顔出し看板!?
平重衡供養塔
境内の西、楼門の前に南都焼討で般若寺も焼いた平重衡の供養塔があります。
重衡は平清盛の5男で、知勇兼備の大将として知られます。
清盛から、以仁王の挙兵以来、公然と反平家の旗幟を鮮明にした興福寺の討伐を命じられた重衡は、治承4年12月25日に大和へ侵攻、奈良坂で南都の僧兵たちを撃破して、般若寺に陣を敷きました。
12月28日に奈良に攻め入った重衡は火を放ち、東大寺、興福寺のすべての堂宇が焼き払われ、多くの僧侶が焼死する惨事を引き起こします。
一説には般若寺近辺に放った火が、折からの強い北風で重衡の予想を超えて燃え広がり、南都一帯を焼き尽くす大火になったともいわれます。
この南都焼討で、南都の衆徒の強い恨みを買った重衡。
その後、一の谷の戦いで捕虜となって鎌倉へ送られていましたが、平家滅亡後に南都の衆徒の要求でその身柄を引き渡されると、木津川河畔で斬首され、その首は般若寺門前に晒されました。
平重衡というと、2022年に放送されたTVアニメ「平家物語」で描かれた重衡が、とても印象に残っています。
TVアニメ「#平家物語」キャラクター紹介
— 【公式】TVアニメ「平家物語」 (@heike_anime) 2022年2月10日
平重衡(CV. #宮崎遊 @asobu_to_kaite )
知盛の弟。武勇も教養もあり、源氏側からも一目置かれています。 pic.twitter.com/R7HRyXbTxK
思慮深く、文武に秀でた心優しい男で、南都焼討の後は罪の意識に苦悩する人物として描かれました。
このアニメでは、平重盛に保護されて平家一門とともに暮らすことになった、「未来」を見る特殊能力を持つ少女びわ(アニメオリジナルのキャラです)の視点から、平家一門の栄華とそれぞれの苦悩、そして一門の滅亡までが描かれます。
映像も幻想的で美しく、毎話ストーリーの節目で、びわが『平家物語』一節を、琵琶の調子に合わせて語る演出は秀逸で、個人的には最近見たアニメの中では白眉の作品でした。
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※本ページの情報は2022年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。
楼門
鎌倉時代に建築された楼門。
軒の反りが美しい楼門で、現存する楼門としては日本最古の建築であり、国宝に指定されています。
叡尊により再興されたときに建立され、もとは回廊の西門でした。
元来、般若寺の正門は本堂に南面する回廊の中門と、その先にある南大門でしたが、戦国時代の兵火で焼かれ、奈良街道に面した西門が残され現在に至ります。
奈良街道側から見た楼門の姿。
楼門は開いていないとき、奈良街道側からの楼門を見るには、一度境内の外に出る必要があります。
奈良街道側からの姿も非常に美しい門ですので、参拝されたときはお見逃しなく!
般若寺の基本情報
住所:〒630-8102 奈良市般若寺町221
電話:0742-22-6287
拝観時間:9:00 〜 17:00(最終受付16:30)
※1月・2月・7月・8月・12月は、9:00~16:00に短縮。
拝観料:大人・500円 中高生・200円 小学生・100円
駐車場はありますがコスモスの時期は有料で普通車は500円。
(時間制で詳しくはお寺のHPなどご確認ください。)
■般若寺の公式twitter
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こちらの記事でご紹介していますので、ぜひあわせてご一読ください。