歴史上の人物
皆さんこんにちは。 前回は教興寺の戦いを中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、長慶死後の活躍を中心にご紹介します。 将軍暗殺 三好家の分裂 久秀失踪 将軍暗殺 1564(永禄7)年7月、一代の英雄三好長慶がこの世を去りました。 長慶が…
皆さんこんにちは。 前回は、久米田の戦いから、三好長慶が窮地に追い込まれるまでをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、いよいよ、戦国における畿内最大の会戦となる、教興寺の戦いと、久秀の活躍をご紹介していこうと思います。 教興寺の戦…
皆さんこんにちは。 前回は、三好長慶と将軍足利義輝の抗争の中、一城の主となるまでの松永久秀についてご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、いよいよ、大和での久秀の活動についてご紹介したいと思います。 久秀の大和侵攻 異例の出世 旧勢力…
皆さんこんにちは。 前回は、松永久秀の出生地候補や、三好長慶の臣下として名を現しはじめたころまでを紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は長慶の重臣として、京都をめぐる争乱に身を置く久秀の姿を中心にご紹介したいと思います。 将軍義輝との…
今村勤三翁の像(安堵町歴史民俗資料館) 皆さんこんにちは。 さて、この記事の公開日、11月4日は1887(明治20)年に奈良県が「再設置」された日です。 実は「奈良県」、1876(明治9)年から1887年までの11年間、消滅していた時期があったことをご存じでしょ…
皆さんこんにちは。 当ブログでは、筒井順慶、柳生宗厳と、奈良に所縁のある歴史上の人物のご紹介をしてきました。 www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com 今回から、戦国きっての梟雄として知られる松永久秀についてご紹介したいと思います。 さ…
皆さんこんにちは。 松永久秀の配下として、信長上洛など激動する大和の情勢を巧みに生き抜いた柳生宗厳の姿を前回ご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は信長上洛後も、なお揺れ動く大和で、どのように宗厳は動いたかを見ていきたいと思います。 …
松永久秀の大和侵入にともない、柳生家厳、宗厳父子は筒井氏を見限り、久秀に帰順します。 その後、久秀は三好三人衆・筒井順慶との争いの中で窮地に追い込まれますが、柳生氏は久秀に味方し続けました。その背後にあった柳生氏の目算とはどのようなものだっ…
剣豪柳生石舟斎。彼は剣豪であるとともに、国人領主でした。国人領主としての柳生氏をご紹介します。
順慶死後、跡継ぎ定次の奮戦と戦国の大和に割拠した国人達のその後をご紹介します。
本能寺の変から山崎の戦いを乗り切った筒井順慶。あらたに天下人の道を進む秀吉に接近し生き残りを図ります。
洞ヶ峠に着陣したのは筒井順慶ではなく明智光秀だった!?本能寺の変から山崎の戦いに至る筒井順慶のどうこうをご紹介。
戦前昭和天皇が行った重大な二つの決断についてご紹介します。
大和守護となり松永久秀滅亡後、織田家中で奮闘する順慶の活躍をご紹介します。
織田家中に参加した筒井順慶。ついに大和守護となり宿敵松永久秀との最終決戦に臨みます。
信長の上洛で窮地に陥った筒井順慶。東山中への逼塞から反転攻勢します。
ようやく青年期を迎えた筒井順慶。宿敵松永久秀との争いは苛烈を極め、筒井城をめぐる攻防から東大寺の戦いに至ります。
大和に現れた最強の侵入者、ま松永久秀。筒井城陥落と教興寺の戦い。
皆さんこんにちは。 「筒井順慶」という戦国武将をご存じでしょうか。 最大でおおよそ20万石(与力も含めれば45万石規模)の太守であり、この規模は江戸時代でいうと土佐の山内氏に匹敵する大身大名といえます。ですが知名度は低く、戦国時代が好きな方でも…