大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

2023-01-01から1年間の記事一覧

戦国大和の覇者・筒井順昭~大和武士の興亡(14)

木沢長政の死後、大和で台頭したのが筒井順昭でした。順昭は長政派の残党を掃討しながら勢力を強め、元々同格の有力国人だった箸尾氏、十市氏、そして最大のライバル越智氏を降してわずかか4年で大和統一を果たします。 順昭の大和統一事業と最期を紹介しま…

木沢長政の大和侵攻と歌人大名・十市遠忠の奮戦~大和武士の興亡(13)

享禄・天文の畿内の混乱から下剋上を果たした木沢長政は、信貴山城を築いて大和への侵攻を開始する。 筒井氏を始め多くの国人たちが長政に従う中、十市遠忠は龍王山城を拠点に敢然と立ち向かい、十市氏を大和有数の戦国大名へと成長させた。 また十市遠忠は…

柳本賢治の大和侵攻と天文一揆~大和武士の興亡(12)

明応の政変以来続く他国衆による大和侵攻の流れの中、1528年には筒井と越智の戦いで混乱する大和へ柳本賢治による大和乱入、1532年には一向一揆が相次いで勃発。 筒井、越智を中心とした大和国人の動向を畿内の政治情勢と併せて紹介します。

大和国人一揆崩壊と薬師寺炎上~大和武士の興亡(11)

永正の錯乱以降の混乱で細川京兆家家督を握った細川高国も、家中の混乱を宿敵・細川晴元、三好元長主従に衝かれて京都を追われます。 畿内が混乱する中、筒井順興は越智家頼との同盟を破棄して再び筒井と越智の抗争が再燃。 再び大和の争乱が激しくなる中、…

両細川の乱と戦国大和の争乱~大和武士の興亡(10)

永正の錯乱で細川政元が暗殺され勃発した細川高国と細川澄元の細川京兆家家督を巡る争いは幕府と畿内全域を巻き込む争乱へと発展します。 激動の畿内の戦国史を大和武士の活躍を中心に紹介します。

細川京兆家の分裂と大和国人一揆の終焉~大和武士の興亡(9)

永正の錯乱により赤沢朝経が死亡すると一度は領地を追われた大和国人一揆は故地に戻ります。 細川氏の分裂によって混迷を極める畿内の戦乱に巻き込まれていく大和国人たちの活躍を紹介します。

大和国人一揆・赤沢朝経の猛威~大和武士の興亡(8)

応仁の乱から明応の政変と戦国の争乱が進む中、ついに大和の領地が他国衆に知行される事態が発生します。 1499年に畠山尚順に与する筒井党を討伐するため大和へ乱入した細川政元家臣の赤沢朝経は北和を席巻して寺社を焼き、反抗する国人の土地を自領としまし…

思ってたんと違う(15)奈良県を襲った空襲~奈良も戦災は免れなかった!?

「奈良や京都は文化財が多いので空襲を免れた」という言説が戦後まことしやかに語られましたが、奈良は被害のあったものだけでも15回の空襲を受け、多数の犠牲者が出ました。 奈良を襲った空襲とはどのようなものだったかを紹介します。

明応の政変と越智氏の没落~大和武士の興亡(7)

応仁の乱後、将軍・足利義尚、大御所・足利義政が相次いで死去すると、足利義視の嫡男・義材が11代将軍となります。 しかし新将軍・義材は幕府の実力者である日野富子、細川政元、伊勢貞宗らの支持を得られず、河内へ親征中にクーデターを起こされ、将軍の座…

丹波市界隈・天理市中心街を歩く~上街道散歩(3)

現在の奈良県天理市の中心地域は昭和29年の合併前までは丹波市町という町でした。 丹波市は中世以来、上街道沿いに発達した宿場町で、江戸時代は伊勢藤堂家の宿駅として整備され、山辺地域の中心的存在でした。 現在も江戸時代以来の町屋が残るかつての中心…

歴史・地域情報の紹介ブログ記事作成でおすすめ便利サイト

奈良県内を中心に地域の歴史や現在の情報を中心に発信してきた当ブログですが、お陰様で2023年7月9日で4周年を迎えました。 当ブログの記事は、実際に現地を足を運んで取材して書くことも多いですが、資料や絵図などを調べたり、集めたりすることも大変多い…

筒井党の没落と山城国一揆~大和武士の興亡(6)

1477(文明9)年11月、応仁元年以来11年続いた応仁の乱は、外形上東軍・幕府方の勝利で終結し、京都での戦闘は終結しました。 しかし、大乱以前から続く畠山義就と政長による家督争いはなおも続き、京都を去った義就は幕府に反乱したまま、河内、大和を実力…

古市城~風流を愛した国人・古市氏の夢の跡を歩く

古市城は中世奈良で有力だった5つの国人の一、古市氏の居城。 その城域は南北400m以上に及ぶ広大なものという説がある一方、それほどの者ではなかったという説もあり、謎が多い城跡です。 現在の城跡の様子を発掘成果や学説なども交えながら紹介します。

応仁の乱・激戦地の大和~大和武士の興亡(5)

1467(応仁元)年5月、御霊合戦で山名宗全によって面目をつぶされた細川勝元はついに反撃を開始して応仁の乱が始まります。 将軍・足利義政は停戦を働きかけますが、宗全と勝元の幕府における主導権争いに、畠山氏、斯波氏の内訌、日明貿易を巡る大内氏と細…

宇陀松山~旧街道沿いの町並み散歩

奈良県宇陀市の宇陀松山地区は、江戸から昭和にかけて建てられた町屋が数多く残り、歴史的景観を体感できる町です。 今井町、五條新町と並んで重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている宇陀松山の町を詳しく紹介します。

大和の戦乱と応仁の乱のはじまり~大和武士の興亡(4)

応仁の乱の大きな原因となった畠山氏家督を巡る争いは、南北朝争乱以降の抗争の図式が残る大和を中心に起こりました。 大和国内での戦乱を中心に応仁の乱に至る経過をわかりやすく解説します。

高原にそびえた大和第三の近世城郭・宇陀松山城~破却された幻の城郭を歩く

奈良県宇陀市の宇陀松山城は、奈良県下では郡山城、高取城とならぶ近世城郭でした。 もとは在地国人・秋山氏の詰城でしたが、伊勢街道を抑える豊臣政権の拠点として近世城郭として大規模拡張されました。 しかし、1615年に大坂の役で豊臣方への内通を疑われ…

応仁の乱への道~大和武士の興亡(3)

大和永享の乱は幕府方筒井氏の勝利で終結しました。 しかし乱後間もなく嘉吉の変で将軍・足利義教が暗殺されると、義教によって失脚していた各地の実力者が復活。 大和でも筒井氏出身の成身院光宣と一時将軍・義教によって失脚していた経覚が、興福寺の権益…

上街道沿いの幻の中世城跡・井戸城と別所城~上街道散歩(2)

戦国時代、筒井氏の重臣であった井戸氏が本拠とした井戸城は、幾度も大和の戦国史における重要な戦いの舞台となり、史料上に頻出する城郭でありながら、廃城後どこにあったのか現在では判然としない幻の城郭になっています。 その有力な候補地となる奈良県天…

南北朝の争乱・興福寺支配の解体と大和永享の乱~大和武士の興亡(2)

鎌倉時代末期から南北朝時代を経て興福寺の支配を脱していく大和武士の姿をご紹介します。 鎌倉時代末から大和国内では興福寺の両門跡寺院の争いが激化して寺門の権威が失墜する一方で、南北朝の争乱を通じて衆徒・国民たちは興福寺からの自立し、幕府・北朝…

なぜ興福寺は中世大和の支配者となったのか~大和武士の興亡(1)

奈良県域の大和国は中世興福寺が治めたことで知られ、鎌倉、室町を通じて守護が置かれませんでした。 しかし、他国同様平安時代の後期には武士が出現しており、大和の武士たちは興福寺によって組織化されていきました。 なぜ興福寺が中世大和の支配権を握っ…

奈良県下最大の花街・生駒新地とその跡を辿る

奈良県生駒市の近鉄生駒駅から宝山寺門前に延びる参道は、かつて生駒新地と呼ばれた巨大花街でした。 現在は宝山寺門前をのぞいて新地の趣は失われましたが、生駒新地の歴史とかつての旧跡をご紹介します。

古社と古道が交差する町・櫟本。上街道散歩(1)

奈良県天理市櫟本町は古代官道に由来する上街道と北の横大路が交差し、名張と大和国を結んだ幹線道・高瀬街道が交差する市場町として栄えました。 旧街道沿いにはかつての市場町の風情が残り、和爾下神社、在原神社といった古社があり、散歩を楽しむスポット…

奈良県の怪異・妖怪の伝承(10)「きつね」と「たぬき」

全国的にも「きつね」や「たぬき」にまつわる怪異譚は非常に多く見られます。 奈良県内にも多くの伝承が残りますが、その中から以下の伝承を紹介します。 ・古女郎大明神 ・おきよ橋 ・安村坂の狐 ・きつねの井戸 ・たか坊主 ・光慶寺の狸 ・北林の狸

椿井文書~奥深い偽文書の世界

椿井文書は江戸時代後期に山城国相楽郡の椿井政隆が作成したとされる一連の偽文書です。 流布した範囲は京都府はもちろん滋賀県、大阪府、奈良県や三重県の伊賀地方にまで及び、中世文書として自治体史に引用されたものも少なくありません。 椿井文書の特徴…

筒井氏の戦国期拠点城郭・椿尾上城~奈良県下屈指の中世石垣遺構を残す城

奈良市北椿尾町の城山山上にある椿尾上城は、筒井氏の山城で、筒井城を松永久秀に奪われた筒井順慶は、この城を拠点として故地回復を図り、久秀と熾烈な抗争を繰り広げた。 元は戦時の詰め城として築城されたが、順昭の時代から政庁機能を持つ戦国期拠点城郭…

奈良県の怪異・妖怪の伝承(9)「幽霊」

各地に伝わる怪異譚で定番の一つが幽霊にまつわるものです。 奈良県内でも各地に幽霊にまつわる伝承が残されています。 奈良らしく歴史にまつわるものから、一風変わった独特のものもあり、「大鹿の怨霊」など怖ろしい話ながら「鹿」の亡霊が登場するのは奈…

唐院城~巨大古墳と環濠集落(唐院環濠)

奈良県川西町の唐院は中世城郭の唐院城をルーツとする環濠集落です。 城跡一帯は主に畑地となっていますが、堀跡の道路や南側水路、主郭跡に残された祠が、往時の城郭の姿を微かにうかがうことができます。 集落は下街道と丹波市街道の辻となっており巨大前…

大和郡山のもうひとつの城下町・小泉城(小泉陣屋)の歩き方

奈良県大和郡山市の小泉城(小泉陣屋)は、江戸時代の陣屋としては規模が大きく、二重の堀と複雑な枡形まで備えた城郭と言って差支えのないものでした。 明治以降、白は住宅地の中に飲み込まれた城跡の見所をご紹介していきます。

太子道沿いの屏風環濠~洪水多発地帯の環濠

奈良県三宅町の屏風環濠は、太子道沿いの環濠集落で、聖徳太子由来の旧跡が残り、その集落名も聖徳太子に由来する。 鎌倉時代の律僧・忍性の出生地であり、中世以来の町割りと環濠を残している。