2019-01-01から1年間の記事一覧
プロ野球初にして唯一の天覧試合が伝統一戦を生み出したといえます。天覧試合開催までの経緯やその後の影響を紹介します。
剣豪柳生石舟斎。彼は剣豪であるとともに、国人領主でした。国人領主としての柳生氏をご紹介します。
大神神社にあった3つの神宮司は神仏分離令ですべて廃寺となりました。廃寺後三者三様のそれぞれの寺院についてご紹介します。
順慶死後、跡継ぎ定次の奮戦と戦国の大和に割拠した国人達のその後をご紹介します。
筒井氏の居城だった筒井城をご案内します。城跡散策のあとは駅前でかき氷を堪能です。
皆さんこんにちは。 前回は、関西で阪神と人気を二分した南海とその本拠地大阪球場をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回はナイター設備の設置が遅れた本拠地甲子園を擁する阪神と、全盛期を迎え、大阪で人気を博した南海のその後を引き続き見て…
かつて古都奈良にも米軍基地があり、朝鮮戦争中には巨大な慰安施設がありました。その施設のまわりは一大青線地帯と化しましたが、施設の消滅とともに姿を消すことになります。
紅葉の名所として名高い奈良県桜井市の談山神社。この地は江戸時代まで多武峰妙楽寺という大寺院でした。大寺院がどうして神社に転身したのかをご紹介します。
本能寺の変から山崎の戦いを乗り切った筒井順慶。あらたに天下人の道を進む秀吉に接近し生き残りを図ります。
すすきで有名な曽爾高原ですが、夏は冷涼で秋に比べると混雑もない関西の穴場避暑スポットです。 大阪、名古屋からも近く、交通アクセスも抜群です。
阪神と人気を二分した南海と、かつて関西プロ野球の中心地だった大阪球場をご紹介します。
洞ヶ峠に着陣したのは筒井順慶ではなく明智光秀だった!?本能寺の変から山崎の戦いに至る筒井順慶のどうこうをご紹介。
皆さんこんにちは。 明治維新とともに吹き荒れた廃仏毀釈の嵐。 前回は興福寺の荒廃と復興についてご紹介しました。 さて、現在奈良の有名で大きな寺院といえば、皆さんどういったお寺を思い浮かべるでしょう。 興福寺、東大寺、法隆寺がまず脳裏に浮かぶ方…
首都ローマを空爆されて1ヶ月余りで降伏した国イタリア。日本やドイツと違い、全土が焦土となることはなく、美しい中世の街並みが温存されました。そんなイタリアから学べることとは何でしょう。
戦前昭和天皇が行った重大な二つの決断についてご紹介します。
大和守護となり松永久秀滅亡後、織田家中で奮闘する順慶の活躍をご紹介します。
2リーグ分裂が阪神にもたらしたものは何か。読売と毎日という2大マスコミのはざまで揺れる阪神の姿を紹介します。
織田家中に参加した筒井順慶。ついに大和守護となり宿敵松永久秀との最終決戦に臨みます。
大和郡山、洞泉寺遊郭跡に残る「旧川本家住宅」こと町屋物語館は大正の遊郭建築を今に残す貴重な遺構です。 その内部をご紹介します。
大和郡山市の洞泉寺遊郭跡に残る町屋物語館こと「旧川本家住宅」の内部を紹介します。遊郭建築の内部を見学できる貴重な施設です。
信長の上洛で窮地に陥った筒井順慶。東山中への逼塞から反転攻勢します。
奈良を代表する観光地である奈良公園。その誕生にまつわる事実をご紹介します。
ようやく青年期を迎えた筒井順慶。宿敵松永久秀との争いは苛烈を極め、筒井城をめぐる攻防から東大寺の戦いに至ります。
阪神のライバルチームは昔から読売だったのか。意外なライバルがかつて存在していた。
JR大和小泉の西側に広がる町、小泉は国指定重要文化財2つを抱える穴場観光地。その見どころを紹介します。
大和郡山の知られざる城跡、小泉城をご紹介します。江戸時代は陣屋のあつかいでしたが、その規模は陣屋のスケールでは測れない大規模なものでした。
大和に現れた最強の侵入者、ま松永久秀。筒井城陥落と教興寺の戦い。
大和郡山にはかつて二つの花街が存在しました。洞泉寺遊郭、東岡遊郭の二つです。現在は対照的なふたつの遊郭跡を訪ねます。
今はおおぜいの阪神ファンで連日にぎわう甲子園球場に閑古鳥が鳴いていた時代があった!?
皆さんこんにちは。 「筒井順慶」という戦国武将をご存じでしょうか。 最大でおおよそ20万石(与力も含めれば45万石規模)の太守であり、この規模は江戸時代でいうと土佐の山内氏に匹敵する大身大名といえます。ですが知名度は低く、戦国時代が好きな方でも…