大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

筒井順慶反撃の最前線となった中世城館・窪之庄城~上街道散歩(11)

奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。

安産祈願の帯解地蔵と貴重な和算の算額・帯解界隈を歩く~上街道散歩(10)

奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。

南都攻防の重要拠点・今市城を歩く~上街道散歩(9)

奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。

美しい天空の城塞環濠集落・竹之内環濠を歩く~上街道散歩(8)

奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。

古墳を巧みに活用した中世環濠集落・萱生環濠を歩く~上街道散歩(7)

奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。

美しき国宝本堂は中世建築の傑作・長弓寺~きたやまと散歩(3)

奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。

二つの宮座が併存する高山八幡宮・無足人座と高山茶筌の発祥を考える~きたやまと散歩(2)

奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。

北和の有力国人・鷹山氏と奈良県最北の城・高山城~きたやまと散歩(1)

大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。

ちゃんちゃん祭りの御旅所を巡る・大和神社(後編)~上街道散歩(6)

奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。

記紀神話から丹生川上神社、戦艦大和まで多くの「ゆかり」を持つ古社・大和神社(前編)~上街道散歩(5)

天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。

伝説と文化財にあふれる山の辺の道の古刹・長岳寺~上街道散歩(4)

平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。

行基、忍性 二人の菩薩が眠る寺・竹林寺~生駒谷散歩(2)

奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。

往馬大社(往馬坐伊古麻都比古神社)を参詣する。近世以前の生駒の歴史・生駒谷散歩(1)

新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介しま…

江戸時代の大和と大和国人の末裔たち~大和武士の興亡(21)

大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。

大和国人たちの運命を決した関ヶ原の戦いと大坂の陣~大和武士の興亡(20)

筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。

大和武士の黄昏。豊臣政権下の大和国衆と筒井氏の伊賀転封~大和武士の興亡(19)

筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴…

古代ロマンと江戸の面影が残る伊勢本街道の宿場町、榛原・萩原宿~おすすめ散歩スポット

現在奈良県宇陀市の中心市街となっている近鉄榛原駅周辺は、江戸時代まで奈良、京都、大坂と伊勢を結ぶ伊勢本街道の宿場町・萩原宿として栄えました。 現在に残る旧街道の様子と往時の賑わいを伝える痕跡を紹介します。

筒井氏の近世大名化と中世大和の終焉~大和武士の興亡(18)

松永久秀滅亡後、知行宛行権を除く広範な大和の支配権を織田信長から認められた筒井順慶は、信長政権のもとで急速に近世大名への道を歩みます。 順慶によって大和の中世は終焉を迎えることになるのです。

思ってたんと違う(16)~1964年阪神対南海の関西ダービーは閑古鳥が鳴いていた!?

59年ぶりに2回目の関西ダービーとなった2023年の日本シリーズ。 関西のメディアを中心に大きな盛り上がりを見せていますが、1964年に阪神と南海が戦った日本シリーズは、日本シリーズ史上最低の観客動員を記録するほど集客面で苦戦しました。 その原因はなん…

筒井順慶の大和制覇~大和武士の興亡(17)

大和で1559年から続く筒井順慶と松永久秀の抗争は1571年辰市城の戦いで順慶が久秀に勝利したことで大きく筒井氏の優勢に傾きます。 織田信長が大和支配で順慶を重用する一方、劣勢の久秀は1577年、居城・信貴山城に籠って信長に反旗を翻しました。

筒井順慶、松永久秀の激闘~大和武士の興亡(16)

1564年から70年にかけ、大和で繰り広げられた筒井順慶と松永久秀の一進一退の攻防を紹介します。 三好長慶の死から大きく畿内の情勢は動き出し、三好家中で孤立した久秀に順慶の反転攻勢が始まります。

松永久秀の大和乱入~大和武士の興亡(15)

1550(天文19)年に大和を統一した筒井順昭が28歳の若さで死去すると、2歳の遺児・順慶が当主となります。 一族・家臣の支えで筒井氏による大和の平和は守られましたが、1559年松永久秀による大和侵攻でその平和は打ち破られました。

戦国大和の覇者・筒井順昭~大和武士の興亡(14)

木沢長政の死後、大和で台頭したのが筒井順昭でした。順昭は長政派の残党を掃討しながら勢力を強め、元々同格の有力国人だった箸尾氏、十市氏、そして最大のライバル越智氏を降してわずかか4年で大和統一を果たします。 順昭の大和統一事業と最期を紹介しま…

木沢長政の大和侵攻と歌人大名・十市遠忠の奮戦~大和武士の興亡(13)

享禄・天文の畿内の混乱から下剋上を果たした木沢長政は、信貴山城を築いて大和への侵攻を開始する。 筒井氏を始め多くの国人たちが長政に従う中、十市遠忠は龍王山城を拠点に敢然と立ち向かい、十市氏を大和有数の戦国大名へと成長させた。 また十市遠忠は…

柳本賢治の大和侵攻と天文一揆~大和武士の興亡(12)

明応の政変以来続く他国衆による大和侵攻の流れの中、1528年には筒井と越智の戦いで混乱する大和へ柳本賢治による大和乱入、1532年には一向一揆が相次いで勃発。 筒井、越智を中心とした大和国人の動向を畿内の政治情勢と併せて紹介します。

大和国人一揆崩壊と薬師寺炎上~大和武士の興亡(11)

永正の錯乱以降の混乱で細川京兆家家督を握った細川高国も、家中の混乱を宿敵・細川晴元、三好元長主従に衝かれて京都を追われます。 畿内が混乱する中、筒井順興は越智家頼との同盟を破棄して再び筒井と越智の抗争が再燃。 再び大和の争乱が激しくなる中、…

両細川の乱と戦国大和の争乱~大和武士の興亡(10)

永正の錯乱で細川政元が暗殺され勃発した細川高国と細川澄元の細川京兆家家督を巡る争いは幕府と畿内全域を巻き込む争乱へと発展します。 激動の畿内の戦国史を大和武士の活躍を中心に紹介します。

細川京兆家の分裂と大和国人一揆の終焉~大和武士の興亡(9)

永正の錯乱により赤沢朝経が死亡すると一度は領地を追われた大和国人一揆は故地に戻ります。 細川氏の分裂によって混迷を極める畿内の戦乱に巻き込まれていく大和国人たちの活躍を紹介します。

大和国人一揆・赤沢朝経の猛威~大和武士の興亡(8)

応仁の乱から明応の政変と戦国の争乱が進む中、ついに大和の領地が他国衆に知行される事態が発生します。 1499年に畠山尚順に与する筒井党を討伐するため大和へ乱入した細川政元家臣の赤沢朝経は北和を席巻して寺社を焼き、反抗する国人の土地を自領としまし…

思ってたんと違う(15)奈良県を襲った空襲~奈良も戦災は免れなかった!?

「奈良や京都は文化財が多いので空襲を免れた」という言説が戦後まことしやかに語られましたが、奈良は被害のあったものだけでも15回の空襲を受け、多数の犠牲者が出ました。 奈良を襲った空襲とはどのようなものだったかを紹介します。