大和徒然草子

奈良県を中心とした散歩や歴史の話題、その他プロ野球(特に阪神)など雑多なことを書いてます。

筒井氏の近世大名化と中世大和の終焉~大和武士の興亡(18)

松永久秀滅亡後、知行宛行権を除く広範な大和の支配権を織田信長から認められた筒井順慶は、信長政権のもとで急速に近世大名への道を歩みます。 順慶によって大和の中世は終焉を迎えることになるのです。

思ってたんと違う(16)~1964年阪神対南海の関西ダービーは閑古鳥が鳴いていた!?

59年ぶりに2回目の関西ダービーとなった2023年の日本シリーズ。 関西のメディアを中心に大きな盛り上がりを見せていますが、1964年に阪神と南海が戦った日本シリーズは、日本シリーズ史上最低の観客動員を記録するほど集客面で苦戦しました。 その原因はなん…

筒井順慶の大和制覇~大和武士の興亡(17)

大和で1559年から続く筒井順慶と松永久秀の抗争は1571年辰市城の戦いで順慶が久秀に勝利したことで大きく筒井氏の優勢に傾きます。 織田信長が大和支配で順慶を重用する一方、劣勢の久秀は1577年、居城・信貴山城に籠って信長に反旗を翻しました。

筒井順慶、松永久秀の激闘~大和武士の興亡(16)

1564年から70年にかけ、大和で繰り広げられた筒井順慶と松永久秀の一進一退の攻防を紹介します。 三好長慶の死から大きく畿内の情勢は動き出し、三好家中で孤立した久秀に順慶の反転攻勢が始まります。

松永久秀の大和乱入~大和武士の興亡(15)

1550(天文19)年に大和を統一した筒井順昭が28歳の若さで死去すると、2歳の遺児・順慶が当主となります。 一族・家臣の支えで筒井氏による大和の平和は守られましたが、1559年松永久秀による大和侵攻でその平和は打ち破られました。

戦国大和の覇者・筒井順昭~大和武士の興亡(14)

木沢長政の死後、大和で台頭したのが筒井順昭でした。順昭は長政派の残党を掃討しながら勢力を強め、元々同格の有力国人だった箸尾氏、十市氏、そして最大のライバル越智氏を降してわずかか4年で大和統一を果たします。 順昭の大和統一事業と最期を紹介しま…

木沢長政の大和侵攻と歌人大名・十市遠忠の奮戦~大和武士の興亡(13)

享禄・天文の畿内の混乱から下剋上を果たした木沢長政は、信貴山城を築いて大和への侵攻を開始する。 筒井氏を始め多くの国人たちが長政に従う中、十市遠忠は龍王山城を拠点に敢然と立ち向かい、十市氏を大和有数の戦国大名へと成長させた。 また十市遠忠は…